きまぐれザムザのありがとう、さようなら。

約2年間続けてきた「きまぐれザムザの変身願望」ですが、本日6月14日、わたくしザムザの誕生日をもちまして、いったん終了とさせていただきます。現在新ブログを準備中なので、そちらの方でまたお会いできればと思っています。(新ブログは近日中に公開予定です)

突然どうして?と思われるかもしれませんが、特に大きな理由があるわけではありません。簡単に言ってしまえば”きまぐれ”ですが、その辺の事情についてはまたいずれ…。

ともあれ、このようなつたないブログをこれまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。とりわけこのブログを通じて知り合えた方々のことは、本当に大切に思っています。

それではまた、ネットの海でお会いしましょう。

***

 2007年6月14日 

      心は今でも17歳、とはさすがに恥ずかしくて言えなくなった、27歳の

                                               きまぐれザムザ
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# by k_g_zamuza | 2007-06-14 23:11 | ザムザ変身前

さようならヴォネガット!私の愛したSF(29) 「スローターハウス5」

4月11日に、アメリカの小説家、SF作家であるカート・ヴォネガット氏が亡くなった。ファンにとってはもちろん哀しいニュースだが、ただ、転んで打ち所が悪くて死ぬなんていうのはいかにもヴォネガット的だとも思う。「だから言ったろう?そういうものだ」なんて、今頃天国で笑っているかもしれない。

SF的生活では、ヴォネガット作品は私の愛したSF(10)で取り上げている。そこで彼のほかの作品もこれからどんどん紹介すると書いたはずなのに、続きを書かないうちに本人が逝ってしまった。3ケタを目指して始めたはずのこのカテゴリも、2年も経ってようやく”愛したSF”が28冊、”SF国境線”が10冊という体たらく。こんなことでは申し訳がたたないのだが、ささやかながら、哀悼の意を込めて、僕のもっとも好きな「スローターハウス5」を取り上げたいと思う。



スローターハウス5
または
子供十字軍
死との義務的ダンス

カート・ヴォネガット・ジュニア

ドイツ系アメリカ人四世であり
いまケープ・コッドにおいて
(タバコの吸いすぎを気にしつつも)
安逸な生活をいとなむこの者
遠いむかし
武装を解かれたアメリカ軍歩兵隊斥候
すなわち捕虜として
ドイツ国はドレスデン市
「エルベ河畔のフローレンス」の
焼夷弾爆撃を体験し
生きながらえて、この物語をかたる。
これは
空飛ぶ円盤の故郷
トラルファマドール星に伝わる
電報文的分裂症的
物語形式を模して語られた
小説である。
ピース。


これは「スローターハウス5」の見開きの1ページである。このエントリを書くために久しぶりに読み返そうと思って本を開いた僕は、このページを読んで思わず泣きそうになってしまった。率直に言って、ここに付け加えるべき言葉は何も無いような気がする。そもそも、彼は自分の死に際し、この作品を代表作として取り上げられることを喜ぶだろうか。それが不安になった。

「スローターハウス5」は、第二次大戦中、実際に行われたドレスデン爆撃を題材にし、それを身をもって体験した作者によって書かれた反戦小説である。高名な物理学者フリーマン・ダイソン(SFファンにはなじみ深い、ダイソン球の提唱者)は、第二次大戦時、イギリスの爆撃空軍司令部のオペレーショナル・リサーチという形でこのドレスデン爆撃にかかわっている。彼は長い間ドレスデンについて1冊の本を書こうとしていたが、ヴォネガットの「スローターハウス5」を読んで、自分が書く必要が無くなったことを知ったという。「彼の本は、すぐれた文学であるばかりでなく真実の記録でもある」とダイソンは書いている。

ところで、「スローターハウス5」の主人公ビリー・ピルグリムは”けいれん的時間旅行者”である。彼は何の脈絡もなく、時空をあちこちと飛び回る。作中では鉛管工事の吸い上げカップに似た緑色の宇宙人が重要な役割を占め、物語のいちばん最後の言葉は「プーティーウィッ?」である。そんな小説が「真実の記録による反戦小説」であることなどありえるだろうか?

読めばわかるけれど、答えはYESである。というか、ヴォネガットにはたぶんこの方法しか無かったのだ。

ヴォネガットは戦争になど行きたくなかっただろう。捕虜になって味方の爆撃を受けたりしたくはなかっただろう。書かずに済むものならば、「スローターハウス5」を書きたくはなかったかもしれない。しかし彼は書かざるを得なかった。彼は物を書く人であり、自らに穿たれた体験を書くことは彼の使命だった。彼はその作業に二十数年の歳月を費やし、ありったけのユーモアと、ジョークと、悪ふざけを注ぎ込み、キルゴア・トラウト、エリオット・ローズウォーター、ハワード・W・キャンベル・ジュニア、トラルファマドール星人、ラムファード一族、その他いろいろの力を借りて、どうにかこれを書き上げた。後に自作の採点をしたときに、彼はこの作品に「猫のゆりかご」と並んで最高点をつけているけれど、それでもヴォネガットはこの作品を「失敗作」と呼び、次は楽しい小説を書こうと思い、事実そのようにした。

ひょっとしたら、彼の戦争に関する全ての体験と、その結果として生まれたこの作品は、彼の”自由意志”とは全く無関係なところで生まれたものだとヴォネガットは感じていたのかもしれない。そんな風に思うのは、僕の勝手な妄想だろうか。

現代アメリカ文学の代表的作家、カート・ヴォネガットは「タイタンの妖女」を書いた。「猫のゆりかご」を書き、「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を書き、「ジェイルバード」を書き、「ガラパゴスの箱舟」を書いた。どれもが素晴らしい作品だ。そしてどれもが楽しく、愉快な作品だ。彼はきっと鼻が高いだろう。だとすれば、僕も「スローターハウス5」について言わずもがなの文章をぐだぐだと書かずに、もっと楽しい作品について語るべきかもしれなかった。でもしかたがない、僕はこうして書いてしまったし、ビリー・ピルグリムに言わせれば、人間はみんな自分のすることをしなければならないのだから。

さようなら、ヴォネガット。さようなら、こんにちは。そして、ありがとう。

「スローターハウス5」 カート・ヴォネガット(米) 1969 
"EVERYTHING WAS BEAUTIFUL, AND NOTHING HURT" ★★★★★

スローターハウス5
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# by k_g_zamuza | 2007-04-26 22:10 | SF的生活

Book to Film (5) 「華氏四五一度」/「華氏451」

SF映画といえば「2001年宇宙の旅」?はたまた「ブレードランナー」?いやいや、ここではフランソワ・トリュフォーの「華氏451」を取り上げたいのです。

フランソワ・トリュフォーといえば、押しも押されぬヌーヴェルヴァーグの第一人者。はい、正直何のことやらわからず書きました(笑)が、この「華氏451」はいかにもセンスの良い小品、という感じでかなり気に入ってしまいました。たしかに地味で、のろくて、パッと見た印象はただの古臭い映画のようなのですが、眺めていると映し出される1シーン、1カット毎に何故か気を惹かれてしまうのですね。もちろんそのすべてが理解出来るわけではないし、今となってはあまりにも時代遅れに感じられるような部分もあるのですが、少なくともどの場面もただなんとなく撮った映像では無いということだけはしっかり伝わってくる。大げさに言えば、作り手の意思の力に満ちている、ということでしょうか。ふうむ、つまりこれがハイドンの音楽にも通じる、柔軟な好奇心に満ちた、求心的かつ執拗な精神ってやつですね?ホシノちゃん(笑)

原作はレイ・ブラッドベリの代表作で、本好きには避けて通れぬ(?)「華氏四五一度」。あらゆる書物が禁止された未来の管理社会で、焚書を仕事にしているはずの主人公が、ふとしたきっかけで読書に目覚めてしまう…というストーリーは、当時猛威を振るっていたマッカーシズムに対する強い反感から生まれたものだと解説には書かれていますが、歴史、特に政治史には極めて弱い僕には正直あまりピンときません。が、作中で描かれるディストピアはむしろ現代の読者にこそリアルな重みを持って迫ってくるのではないでしょうか。

映画のラストで、ブラッドベリの「火星年代記」くんが登場するのには思わずにやりとさせられましたが、「思い思いの1節を暗唱しながら雪の中を行き交う”本の人々”」という映像は(誰もが思うことのようですが)やはりすごく印象的でした。ある意味ではなんてことの無いシーンなのに、何故だろう?ちなみに原作ではもっと壮絶なラストが用意されているのですが、それをそのまま映画にしてしまうとたぶんすごく興ざめなものになっていたと思います。ラスト以外にも原作からの変更点は少なくないのですが、作品全体としては原作のテーマをかなり巧く(驚くほど、と言っても良いかもしれない)表現しているのではないかと。トリュフォーの作品の中では失敗作とみなされることが多いそうですが、なかなかどうして、優れた映画だと僕は思います。主演のオスカー・ウェルナーの無感動でシュールな演技も良い味を出していますし(撮影当時、主演のオスカー・ウェルナーとトリュフォーの関係はかなり険悪だったという話ですが…)ジュリー・クリスティは綺麗な人形のようで魅力的ですね。(というか、見ていてちょっと「サンダーバード」の人形を思い出してしまったのですが、それはさすがに失礼?)

ところで、電子化の進んだ現代においては”本の人々”になろうと思えば今や誰もが簡単になれるわけです。使い慣れたiPod に朗読データを放り込んで、こっそりイヤフォンで聞けば良い。そして、別に本に限らず、タブーとされる画像にしろ、発売禁止になった音楽にしろ、大抵のものはインターネットを通じて入手出来てしまう時代でもあります。が、それがブラッドベリの望んだ姿であるとは到底思えないのはどうしてなのか、ときどきちゃんと考えてみる必要がありそうです。

禁止されたものを取り戻すだけでなく、ときに押し付けられたものを振り払う。その理性、その知性が、どうか僕らと共にありますように。

***

華氏四五一度
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# by k_g_zamuza | 2007-03-13 23:06 | Book to Film

私の愛したSF(28) 「かめくん」

本当はいつも誰かに訊いて欲しくてうずうずしているのに、なかなか訊いてもらえない質問がある。

「最近面白かった本は?」

これだ。26歳にもなるとたいていの人はこういう子供っぽい話題にはなかなか付き合ってくれなくなるようで、僕としては寂しい限りなのだが、2ヶ月ほど前、久しぶりに話した友人から、ちょっと予想もしないタイミングでこの質問が飛び出した。あまりに唐突だったのでけっこう驚いたのだけれど、そんなそばから頭の中では勝手にカラカラと検索が始まって、このひとに薦めるならアレとコレと…なんて考えている自分がいて、なんだかすごく可笑しかった。

そのときは結局5、6冊を薦めてみたのだけれど、その中に1冊くらい毛色の変わったものも、と思って入れたのが今回の作品、北野勇作「かめくん」である。ちなみにタイトルがあまりに面白かったらしく、あとでずいぶん笑われたのだけれど、幾ら笑ってくれても結構、誰が何と言おうとこれは希代の名作なのだ。

というわけで、これから「かめくん」がいかに優れたSFかを書いていきたいところなのだけれど、こうやっていざ書こうとすると困ったことに言葉がぜんぜん出てこない。たとえば構造が椎名誠のSFに似ているとか、「ドラえもん」だとか、「ヨコハマ買い出し紀行」だとか、いやむしろ「かんがえるカエルくん」だとか、そういうことを言ってみてもあまり面白くはないだろう。癒し系とかほのぼの系だなんて言葉を安易に使いたくもない。そんなカテゴライズはもったいない。だからといって、仰々しく持ち上げたいかと言われるとそうでもない。日本SF大賞受賞なんて肩書きばかりに気をとられていると大事なことを見落としてしまいそうだ。

「かめくんはかめくんであってかめくんでしかないのだから」

なんていう作中の言葉をつかまえて分かった様なふりをしたくもない。(そもそもこんな書き方は反則すれすれだろう)かめくんがモノレールに乗って僕が住んでいるところまで通ってきていることを書いてみても何も始まらない。なんというか、そういう一切の説明を拒否するようなところで成立している作品なのだ、これは。

仕方が無いので僕はとりあえず黙って本を渡すことにしている。読まなければわからないし、読めばもうそれで良い。そういう本があったって良いだろう。自分がほんもののカメではないことを知っていて、どこにも所属していないことを知っていて、リストラされて職を探してまた働いて、ときどき好きなリンゴを食べたり誰かに憧れたり本を読んだり映画を観たり、何かに巻き込まれたり戦ったり猫を可愛がったり、学んだり忘れたりまた思い出したり、そうやってやってきて、また去ってゆく。それが「かめくん」。それだけのことなのだ。

「かめくん」 北野勇作(日) 2001
日本SF大賞

うまいうまいうまいうまいうまいうまい ★★★★

かめくん
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# by k_g_zamuza | 2007-02-02 12:55 | SF的生活

Book to Film (4) 「鼠たちの戦争」/「スターリングラード」

戦争モノの魅力ってなんだろうか。よくわからないけれど、小説にしろ映画にしろ、戦争を題材にした作品はフィクション、ノンフィクションを問わず古今東西星の数ほどあって、傑作と呼ばれる作品も実に多い。僕も好きなものを挙げろと言われれば10コくらいはすらすらと思いつくけれど、その中でも常にマイランキングの上位にあるのがロビンズの小説「鼠たちの戦争」なのだ。

独ソ戦の大きな転機となった史上最大の市街戦、スターリングラード攻防戦を舞台に、ソヴィエト側のスーパースナイパーとドイツ側のスーパースナイパーによる狙撃兵同士の一騎打ちを描いたこの作品、なんと史実に基づくというからすごいのである。

主人公ヴァシリ(小説ではワシーリィ)・ザイツェフはレーニン勲章まで受章した実在のソ連の英雄で、さっき調べたらウィキペディアに写真入りで載っているのに気がついた。大型のライフルを構え、ちょっと困ったような笑いを浮かべるザイツェフは、このとき今の僕と同じ年齢のはずで、写真ではごくあたりまえの青年に見える。本文中には257人の敵兵を殺害、とあるけれど、残念ながらその数字の持つ意味が僕にはまったくイメージが出来ない。(257匹のマウスなら僕も殺したと思うけれど)本当はどんな人だったんだろうか。

小説ではシベリア出身の元猟師で、その天才的な狙撃技術によりスターリングラードの生ける伝説となった若き曹長「兎」ことザイツェフと、打倒ザイツェフの切り札としてドイツから送り込まれた狙撃学校の「校長」ハインツ・トルヴァルト大佐の息詰まる決闘を中心に、熾烈を極めた市街戦の有様がソヴィエト、ドイツ両軍の兵士の視点で交互に語られてゆく。銃弾が雨あられのように飛び交うのかと思いきや、これはあくまでも狙撃兵の戦い、1発の銃弾が発射され、1人の人間が倒れる、その間に交わされたかけひき、策略、心理戦の様子が、ときに何十ページにもわたって丹念に描かれる。それが退屈かといえばそんなことは全く無くて、あたかも自分がその戦場にいて、見えない敵の十字線から逃れるべく、瓦礫の影に必死で身を縮め、息を殺してあたりを伺っているような気分にさせられるから、これはなかなか大した筆力だと思う。(筆者のロビンズはこの作品の後も戦争モノを何作か書いているようだけれど、その精緻な描写力は確かに戦争を描くのに向いているような気がする)クライマックスの対決シーンは何度読んでもスリリングで、僕はつい何度も読み返してしまう。

さて、映画「スターリングラード」は、正確には「鼠たちの戦争」を原作にしたわけではなく、同じ史実を元に映画化したものだったと思うけれど、このくらいの距離感が小説と映画、お互いを邪魔せずに楽しめてちょうど良いような気もする。ヴァシリを演じるジュード・ロウはちょっとスマートすぎ、若々しすぎで小説のザイツェフのイメージとはだいぶ違うし、そもそも全然ロシア人に見えなかったのだけれど、突然戦場に駆り出された田舎育ちの素朴な青年が、その射撃の才を見出され、英雄に祭り上げられてゆく、というストーリーには合っているとも思った。対するケーニッヒ少佐役のエド・ハリスも臆病者の「校長」トルヴァルトとはやはりイメージが違ったけれど、こちらは風格漂うナチの将校を見事に演じており、すごく魅力的だ。

ストーリーは、もちろん大まかな流れは小説と同じなのだが、シリアスな戦闘描写の隙間にいささか場違いな感のあるヴァシリ、ターニャ、ダニロフの三角関係が押し込められており、ラストも安直なハッピーエンドになっていて、それがいささか勿体無い気がする。のだけれど、なんというか(この辺は感じ方が大きくわかれるところだと思うけれど)「娯楽映画なんだからその辺は割り切ろうぜ」的な雰囲気があって、僕は不思議とまあこれで良いかという気にさせられた。だから観終わった後の印象は決して悪くなく、うん、面白かったな、と素直に思ったのだ。特別話題になった映画ではないと思うけれど、これが意外と良いんだよね、ちょっと観てみたら、と言いたくなる作品かもしれない。

ところでどうでも良いかもしれないけれど、劇中のザイツェフとターニャのラヴシーンがなんだかやたらとエロティックでドキドキしてしまったのだが、この辺はさすがフランス人監督ということなのか、よかったら誰か教えてください。

***

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# by k_g_zamuza | 2007-01-24 16:00 | Book to Film

Book to Film (3) 「ティファニーで朝食を」

世の男どもというのは、他人に話すと笑われてしまいそうで、普段はこっそり隠しているけれど、本当はいつまでも大切にとっておきたい思い出を、きっと幾つも抱えているのだ。スタンド・バイ・ミーの友人がそうであり、自分だけのホリー・ゴライトリーもまた、そうだ。

小説「ティファニーで朝食を」の主人公はカポーティ自身と思しき作家、その彼のところに、昔なじみだった飲み屋の老主人から電話がかかってくるところから物語は始まる。それだけでもう、ホリーの話だな、とピンと来ている。もう何年も会っておらず、どこで何をしているのかもわからない。なのに、どうにも忘れがたい女なのだ。もう一度会ってみたいような気もするけれど、それよりもこうして彼女に振り回された男同士、ときどき噂話を交換しては、あとはそれぞれ好き勝手に思い出に浸りたい、ホリー・ゴライトリーとはそういう女なのだ。

「あなたは間違っていますよ。あの女はくわせ者(phony)ですぞ。しかし、あなたが正しいともいえますな。あれはくわせ者じゃないです。というのは、あの娘は本物のくわせ者だからですよ」

上はホリーの取り巻きの1人、O.J.のセリフだが、ちょっと面白いのはかのライ麦畑のホールデン少年の口癖が、やはりインチキ(phony)だったことである。ホールデンがphony だと罵り、懸命に否定しようとした側の人間であるO.J.が、ホリーを「本物の」phony だと言うとき、そこにはphony な世界に組み込まれてしまったかつてのホールデンがちらりと顔を見せている。

小説の解説では「プレイガール・ホリー」という人物像についてばかりぐだぐだと書いてあるけれど、そんな読み方ははっきりいってまったく面白くない。大切なのは何故ホリーが無軌道な生活を選ぶか、ではなく、何故そんなホリーに主人公が惹かれるか、ではないのか。本物の贋もの、壊れもの、傷もの、そういうものの方が、ただの本物よりもずっと魅力的にみえることがある。そういうものにばかり惹かれてしまう人がいる。大抵は男だ。カポーティ自身が、きっとそうだった。

さて、「Book to Film」ということで、映画「ティファニーで朝食を」の方にも触れなければならないのだけれど、正直に言って映画に関してはあまり書くべきことがない。たしかにカポーティの小説とは別物かもしれないが、「オードリーの映画」としてカンペキで、その愛らしさにただただ降参するばかりなのである。天才の感性も、真に美しい女性の前では無力か、なんて。

これで終わるのも寂しいので、1つだけ蛇足を。ホリーのアパートの最上階に住む日本人写真家ユニオシさん、映画ではミッキー・ルーニーがかなり偏った日本人のイメージで演じていてこれがなかなか面白いのだけれど、ユニオシなんて苗字、聞いた事も無い。それで思いつくのは村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」に登場したユミヨシさんなのだけれど、ユニオシさんを想像しながらユミヨシさんのくだりを読むのは、これはいささか興ざめだと思うのだが、いかが。

***

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# by k_g_zamuza | 2007-01-23 14:29 | Book to Film

Book to Film (2) 「ジョゼと虎と魚たち」

田辺聖子の短編集「ジョゼと虎と魚たち」の表題作は、分量にしてわずか数十ページ、10分もあれば読み終わってしまう。が、その数十ページがやたらに濃い。濃密な死の匂い、欲の匂い、そしてなにより女の匂いが充満して、オトコの僕ではむせ返って少し呼吸が苦しい。これより長いと読めなくなってしまいそうだが、そのぎりぎりのところで心に触れてくる。

こういう小説は、この世のすべてに絶望した人が、せめて最期に綺麗な夢を見ることを望んだ、その夢のようなものとして成立しているのだと思う。つまり、原則としてどうしようもなくデッドなファンタジィなのだ。少なくとも、僕はそう読んだ。

そんなわけだから、映画が始まってしばらくは頭が混乱していた。何が違うのか良くわからないまま、なんだかだんだん腹まで立ってきた。ようやく気がついたのは、物語も終盤に差し掛かかったあたり、ジョゼの「息子」がジョゼに車を貸しに来るくだりまで観てからのことだった。

「ああ、つまりこの映画は生きてゆく物語、リアルでライヴな物語なのだ」

それでようやくカチリとはまって、それ以降はすいすいとのっていけた。

恒夫があまりにも平凡な大学生であることが不思議だった。馬鹿をやれる友人達がいて、いい仲の女友達がいて、気になる女の子がいる。ジョゼのファンタジィに付き合うには明らかに役不足で、そもそもソレに付き合う必要が恒夫には無い。映画のストーリーは恒夫に現実の傷と痛みを与えたが(当然のことだ)、それと同時にジョゼにもリアルな世界で生きてゆくことを強いて、最後のシーン、電動車椅子に乗り颯爽とゆくジョゼは力強く美しいかもしれないが、そこには小説にあったファンタジィが入り込む余地は無かった。下半身不随の25歳の女性、フランソワーズ・サガンに影響されて「ジョゼ」を名乗るクミ子と、その「管理人」を自認する23歳の恒夫のおとぎ話は、そもそもはじめからほとんど無視されているのだ。

犬童監督がどういう思いであの原作からこの映画を撮ったのか、僕はちょっと量りかねている。初めからこう読んだのかもしれないし、意図的にこう作ったのかもしれないし、撮ってゆく最中でこう動いていったのかもしれない。実は映画を観た後、ひょっとしたら僕の方がミスリードをしていたんじゃないかと少し不安になって、原作を何度か読みかえしてもみた。(あるいは大阪弁のニュアンスをとり損なっているかもしれない)でも、やはり原作と映画、両者のベクトルは完全に真逆を向いていると僕は思う。そのどちらが良い、悪いではない。僕の想像とまるで違ってはいたけれど、すごく良い映画だった。俳優陣の演技も良く、映画を観た人の多くは、きっとどこかに共感したり何かを思い出したりして心を動かされるだろう。僕も恒夫が号泣する場面には感心したし、素直に感動もした。(出来ることならべしょべしょと一緒に泣いてもみたかった)

ただ、いつまでもファンタジィに遊んでいたいコドモな僕らにとっては、こういう映画を観ると少し淋しく思うのも(映画のストーリーが、では無い)本当のことなのだ。エンドロールでくるりが「ハイウェイ」を歌って、僕もちょっとだけ、どこかへ出かけてしまいたい気分だった。”僕が旅に出る理由は、だいたい百個くらいあって、、、”

***

ジョゼと虎と魚たち
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# by k_g_zamuza | 2007-01-09 18:58 | Book to Film

私の愛したSF外伝 「サマータイムマシン・ブルース」

年明けに山ほど観ていた映画の1本を、SF的生活で無理やりご紹介。本広克行監督、「サマータイムマシン・ブルース」

おかしなタイトルだ。「サマータイム・ブルース」ならエディ・コクランかThe Who か、さもなければ渡辺美里だろう。「タイムマシン」ならもちろんウェルズだ。それが合体しているということは、ピート・タウンゼントの風車弾きを動力に使ったタイムマシン?いやいやそんなバカな。

これを手に取ったのは、たまたま邦画が観たいような気分だった、「博士の愛した数式」はレンタル中だった、借りようと思っていた「笑の大学」の隣にあった、そしてタイトルが変だった、それだけだ。それだけだったのに、こうやってちゃんと出会ってしまうから人生は面白い。

話はとある大学の夏休み、グダグダな毎日を過ごすSF研究会の男子学生5人とカメラクラブの女子学生2人の前に、突如としてタイムマシンが出現する。軽い気持ちで乗ってしまったは良いものの、過去を変えると未来が変わり、このままではみんな消えてしまう!?ナンテコッタ、なんとかせねば、、、というドタバタ喜劇。もともと劇団「ヨーロッパ企画」の舞台を映画化したということで、たしかに表現は小劇場的で、それだけに先の展開は読みやすいのだけれど、それで面白さが失われるなんてことはもちろん無い。これはセンスオブワンダーを売りにするSFではなく、れっきとした青春群像劇なのだ。(じゃあここで紹介するなって?)

SFが何の略かも知らないSF研。何故か野球のユニフォームを持っているSF研。僕はSF研に居たことは一度もないけれど、こういうグダグダ感は何故だかよおく知っている。まず思い浮かんだのはゆうきまさみの漫画「究極超人あ~る」で、これはじっさい雰囲気がそっくりなのだけれど、それよりも僕が居た演劇部だって、同じことではなかったか。毎日同じメンバーと顔をつき合わせ、グダグダとつるんではくだらない遊びに夢中になり、ときにはロクでもないことをしでかして、なんとも非生産的、でもとにかく毎日がすごく面白かった。映画を観ていると、そういう大事なことがにやにや笑いと共によみがえってくる。そういうことが大事だったということをまた思い知らされる。そしてついでに、僕が映画を観ると思い出しマシーンになることがよく分かる。あ、だから「タイムマシン」で「ブルース」なのか。なるほど。

俳優に惹かれて借りたわけでは決して無いのだけれど、上野樹里と真木よう子の取り合わせは反則的にハマっていると思う。主役の瑛太くんは他のメンバーのハジケっぷりに喰われてしまって、頑張ったわりにはどうにも影が薄いのだけれど、最後の「苗字って、変えられるのかな?」には、予想は出来ていてもやはりくらりときてしまった。(ただし、僕はこのセリフの前に別のオチを思いついて、そちらのほうが個人的には気に入っているのだが)ついでに自分が佐々木蔵之介好きだということを確認。あ、どうでもいいか。

ええと、最後に、この映画、最初から最後までとにかく面白かったのだけれど、何度も言うけれどネタが劇場的なので、舞台ならきっともっと面白いんじゃないかということをずっと考えながら観ていた。(というかいちいち頭の中で舞台に変換していた。むしり取った昔とった杵柄だろう)ヨーロッパ企画の舞台もDVD化されているようなので、そちらも必ずチェックしようと思います。

「サマータイムマシン・ブルース」 (日) 2005
青春とは、グダグダな部活動のことである! ★★★★☆


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# by k_g_zamuza | 2007-01-06 23:57 | SF的生活

Book to Film (1) 「スタンド・バイ・ミー」

2007年の新カテゴリは「Book to Film」。内容はタイトルどおり、原作小説とその映画化作品の両方をとりあげて、ダラダラと感想を書いてみようかなと思っています。映画をこき下ろして原作を持ち上げるだけの内容にはならないように、細心の注意を払いつつ。

ともあれ、最初の1作目は「スタンド・バイ・ミー」です。

***

長い間スティーブン・キングを無視し続けてきた。そもそもホラー小説があまり好きではなかった。高校生の頃、友人が読んでいたディーン・クーンツを借りたときも(たしか「インテンシティ」だったと思う)まったく響かなくて、モダンホラーとはこんなにつまらないものかと思った。

その後、ちょっとした内輪のパーティの余興で、キング原作の「ペット・セメタリー」を観る機会があった。いかにもB級ホラー、というチープな雰囲気が可笑しくてくすくす笑いながら観た。(ただし1人だけ怖がって泣いた女の子がいた)同じ頃にたまたまNHKで放映された「ランゴリアーズ」のお粗末なCGも良くなかった。読む前から僕の中でスティーブン・キング=安っぽい娯楽映画の原作者、というイメージが定着してしまったのだ。(もっとも「ランゴリアーズ」のストーリー自体はかなり面白かったけれど)

名作「グリーンマイル」はたしか映画館で観た。これは文句無く面白かった。映画館を出た後、すぐに家に帰るのがもったいなくて、ガールフレンドと2人、行くあても無く夜の街を歩いたような記憶がある。が、結局オカルト・ギミックかよ、という気分はまだあった。薄っぺらい6冊組の文庫本というのも気に入らなくて、読んでみようとは思わなかった。

そんな紆余曲折を経て、ようやく「スタンド・バイ・ミー」に辿りついたのだ。20数年間、これほど有名な作品に触れる機会が一度も無かったというのも考えてみれば珍しいことかもしれないけれど、ともかく先に小説を読んで、たまげた。キングとはこんな作家だったかと思った。一部の隙も無いピカピカの青春小説だ。カンペキだ。

つい先日映画の方を観て、またやられた。こちらもカンペキだ。当然原作とは細部が少しずつ異なっているのだけれど、その変え方1つ1つが実にスマートでいちいち納得させられる。そうだ、拳銃はゴーディが撃てば良い。エースの仕返しのエピソードなんか不要だ。クリスが弁護士になれたのも良かった。映画はこれで良い、いや、こうあるべきだ。小説と映画、それぞれがそれぞれのベストの方法で同じテーマを描ききり、結果的に原作と映画の両方が共に非の付け所の無い傑作に仕上がっている。こういう奇跡的なペアを、僕はこれから幾つ見つけられるだろうか?この新カテゴリを立てたのは、そんな興味もあってのことだった。

でも、もういいだろう。そんなことは本当はどうでも良くて、僕が今書きたいことは、こうだ。

つまりそう、僕にだってあったのだ。テントをかついで仲間とキャンプに行ったこと。友達が自転車で車の側面に突っ込んで、助手席側のドアがぐちゃぐちゃに潰れて、運転手が真っ白な顔で飛び出してきた。友達と自転車がほとんど無傷だったのが今思えば信じられない。ローティーンの少年はそれほど無敵なのだ。真夜中に何故か目が覚めてみんなで星を見たこと。少し歩けば国道にぶつかるような場所だったけれど、それでもびっくりするくらい星が沢山見えて、流れ星がスーッと流れて、ワルぶったあいつもすげえ、すげえと声を弾ませていた。竿を並べて川釣りをしたこと。見知らぬ婆さんがやってきて言った、ここの淵は深さが3メートルもあって、いったん沈んだら二度と浮かび上がれないよ、ちょっと前にも中学生が死んだんだよ、、、

そういう思い出が、ひょっとしたら人生で一番大切なものなんじゃないのかと、このところ頻繁に思う。「スタンド・バイ・ミー」を読み、映画を観た、それだけが原因ではないけれど、ここ最近の僕はそんな気分を少しもてあまし気味に過ごしている。だからダーリン、スタンド・バイ・ミー。

夜が来て あたりは真っ暗
僕らを照らすのは 月の明かりだけ
でも怖くなんかない 怖くないさ
君が僕の側にいるかぎりはね

そう だから僕の側にいてくれないか
僕の側にいてくれ

見上げた空が もし崩れ落ちても
あの山が もしも海に沈んだとしても
僕は泣かない 涙なんかこぼさない
君が僕の側にいるあいだはね

ねぇ だから僕の側にいてくれないか
僕の側にいてくれ


***

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# by k_g_zamuza | 2007-01-06 19:02 | Book to Film

私の愛したSF(27) 「果しなき流れの果に」

友人から、公開中の映画「日本沈没」の原作を読みたいと思うんだけれど、小松左京ってどんな感じ?と訊ねられて、そんなに沢山読んだわけじゃないし、「日本沈没」も未読だけれど、一言でいうなら「昭和SF」という感じかな、と答えてみた。

そう、どうしてなのかわからないけれど、小松左京のSFを読むたびに僕が感じるのは、いわゆる古き良きSF、古典的SFというのとも微妙に違う、なんともいえないノスタルジックな感覚であって、それはたとえばつげ義春の漫画から感じる郷愁と同タイプのもののように思う。要するに、彼の作品はどれだけ遠い未来を描こうとも、感じる印象が常に「戦後」であり「昭和」なのだ。(このあたり、同世代の星新一の作品がほぼ完全に時代を超越しているのと好対照かもしれない)そのせいで、小松左京のSFはどれを読んでもあまりSFを読んだという気がしないのだが、ともかく1冊とりあげてみよう。作品は最高傑作の呼声も高い「果しなき流れの果に」

”N大理論物理研究所の助手、野々村が、上司である大泉教授とその友人・番匠谷教授に呼び出されて見せられたもの、それは中生代白堊紀の地層より出土したという、永遠に砂の落ち続ける砂時計であった!驚異的な発見の謎を解くべく発掘現場の調査を開始した一行であったが、周囲に怪しい男の影がちらつき、事態は不穏な方向へと進んでゆく。彼らが知らず巻き込まれたもの、それは十億年もの時間と空間をこえた、「意識の進化」のための果てしなき戦いであった…”

さて、「人類はどこから来て、どこへ行くのか?」という壮大な(同時にありがちでもある)テーマを扱ったこの作品、一応上のような作品紹介を書いてはみたものの、これを読んでも具体的にどんな話なのかはさっぱりわからないだろう。実は、読んでもイマイチよくわからないのだ(苦笑)

導入部分はなかなか良い。地に足のついた書きっぷり(冒頭から真顔で”四次元空間”なんて言葉が飛び出すのはご愛嬌)とサスペンスフルな展開で読ませてくれる。ただ、この部分はあくまで全体の4分の1程度で、ここから先がどうにも詰め込みすぎかつ飛ばしすぎなのだ。ちなみに”詰め込みすぎかつ飛ばしすぎ”なのでこの作品をワイドスクリーン・バロックに分類する人も居るようだけれど、最も大切な要素である「バカ」が欠けているので個人的にはまったくWSBを感じなかった。

早川書房版の解説でも指摘されていることだが、特に後半、物語としての完成度にはかなり不満を感じてしまう。それは作者も十分承知した上でのことだというけれど、(作品というよりは未来のラフスケッチ、あるいはフィールドノートとのこと)綿密に書き込まれた細部のディテールがあってこそ、壮大なヴィジョンが生きると僕は思うし、(例外的に、ワイドスクリーン・バロックだけは細部を完全に無視することで成功しているとも言える)ともかく個人的にはせっかく面白いテーマを扱っているのにどうにもアピール不足かつ散漫な印象が拭えず、最後まで完全には乗り切れなかった。

ちりばめられたアイデアの中にはキラリと輝く断片が幾つもあって、小松左京の能力は確かに非凡なものだと思うけれど、「今読んでも古臭さを感じさせない」とか「世界観が変わった」とまで言われると、他にどんなSF読んできたのだろうと思わないことも無かったりする、僕にとってはそんな作品なのでした。ここでそんなに感動してちゃあ、身体がもたないぜ?

ところでモノレール文庫、というのをご存知だろうか。大阪モノレールを利用する人以外は当然知らないと思うけれど、待ち時間が長めのモノレールに乗るとき、駅構内に本棚があってそれを好きに持ち出して良いという天国のようなシステムなのだが、実は「果しなき流れの果に」はそのモノレール文庫で借りて読んだ本なのでした。物語の前半部の舞台も大阪なので、ちょっとした運命を感じたり、感じなかったり。いやはや、どうでも良いですね。

「果しなき流れの果に」 小松左京(日) 1966
”それは長い長い・・・夢物語です” ★★☆

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# by k_g_zamuza | 2006-08-05 16:36 | SF的生活