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きまぐれザムザのありがとう、さようなら。

約2年間続けてきた「きまぐれザムザの変身願望」ですが、本日6月14日、わたくしザムザの誕生日をもちまして、いったん終了とさせていただきます。現在新ブログを準備中なので、そちらの方でまたお会いできればと思っています。(新ブログは近日中に公開予定です)

突然どうして?と思われるかもしれませんが、特に大きな理由があるわけではありません。簡単に言ってしまえば”きまぐれ”ですが、その辺の事情についてはまたいずれ…。

ともあれ、このようなつたないブログをこれまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。とりわけこのブログを通じて知り合えた方々のことは、本当に大切に思っています。

それではまた、ネットの海でお会いしましょう。

***

 2007年6月14日 

      心は今でも17歳、とはさすがに恥ずかしくて言えなくなった、27歳の

                                               きまぐれザムザ
# by k_g_zamuza | 2007-06-14 23:11 | ザムザ変身前

さようならヴォネガット!私の愛したSF(29) 「スローターハウス5」

4月11日に、アメリカの小説家、SF作家であるカート・ヴォネガット氏が亡くなった。ファンにとってはもちろん哀しいニュースだが、ただ、転んで打ち所が悪くて死ぬなんていうのはいかにもヴォネガット的だとも思う。「だから言ったろう?そういうものだ」なんて、今頃天国で笑っているかもしれない。

SF的生活では、ヴォネガット作品は私の愛したSF(10)で取り上げている。そこで彼のほかの作品もこれからどんどん紹介すると書いたはずなのに、続きを書かないうちに本人が逝ってしまった。3ケタを目指して始めたはずのこのカテゴリも、2年も経ってようやく”愛したSF”が28冊、”SF国境線”が10冊という体たらく。こんなことでは申し訳がたたないのだが、ささやかながら、哀悼の意を込めて、僕のもっとも好きな「スローターハウス5」を取り上げたいと思う。



スローターハウス5
または
子供十字軍
死との義務的ダンス

カート・ヴォネガット・ジュニア

ドイツ系アメリカ人四世であり
いまケープ・コッドにおいて
(タバコの吸いすぎを気にしつつも)
安逸な生活をいとなむこの者
遠いむかし
武装を解かれたアメリカ軍歩兵隊斥候
すなわち捕虜として
ドイツ国はドレスデン市
「エルベ河畔のフローレンス」の
焼夷弾爆撃を体験し
生きながらえて、この物語をかたる。
これは
空飛ぶ円盤の故郷
トラルファマドール星に伝わる
電報文的分裂症的
物語形式を模して語られた
小説である。
ピース。


これは「スローターハウス5」の見開きの1ページである。このエントリを書くために久しぶりに読み返そうと思って本を開いた僕は、このページを読んで思わず泣きそうになってしまった。率直に言って、ここに付け加えるべき言葉は何も無いような気がする。そもそも、彼は自分の死に際し、この作品を代表作として取り上げられることを喜ぶだろうか。それが不安になった。

「スローターハウス5」は、第二次大戦中、実際に行われたドレスデン爆撃を題材にし、それを身をもって体験した作者によって書かれた反戦小説である。高名な物理学者フリーマン・ダイソン(SFファンにはなじみ深い、ダイソン球の提唱者)は、第二次大戦時、イギリスの爆撃空軍司令部のオペレーショナル・リサーチという形でこのドレスデン爆撃にかかわっている。彼は長い間ドレスデンについて1冊の本を書こうとしていたが、ヴォネガットの「スローターハウス5」を読んで、自分が書く必要が無くなったことを知ったという。「彼の本は、すぐれた文学であるばかりでなく真実の記録でもある」とダイソンは書いている。

ところで、「スローターハウス5」の主人公ビリー・ピルグリムは”けいれん的時間旅行者”である。彼は何の脈絡もなく、時空をあちこちと飛び回る。作中では鉛管工事の吸い上げカップに似た緑色の宇宙人が重要な役割を占め、物語のいちばん最後の言葉は「プーティーウィッ?」である。そんな小説が「真実の記録による反戦小説」であることなどありえるだろうか?

読めばわかるけれど、答えはYESである。というか、ヴォネガットにはたぶんこの方法しか無かったのだ。

ヴォネガットは戦争になど行きたくなかっただろう。捕虜になって味方の爆撃を受けたりしたくはなかっただろう。書かずに済むものならば、「スローターハウス5」を書きたくはなかったかもしれない。しかし彼は書かざるを得なかった。彼は物を書く人であり、自らに穿たれた体験を書くことは彼の使命だった。彼はその作業に二十数年の歳月を費やし、ありったけのユーモアと、ジョークと、悪ふざけを注ぎ込み、キルゴア・トラウト、エリオット・ローズウォーター、ハワード・W・キャンベル・ジュニア、トラルファマドール星人、ラムファード一族、その他いろいろの力を借りて、どうにかこれを書き上げた。後に自作の採点をしたときに、彼はこの作品に「猫のゆりかご」と並んで最高点をつけているけれど、それでもヴォネガットはこの作品を「失敗作」と呼び、次は楽しい小説を書こうと思い、事実そのようにした。

ひょっとしたら、彼の戦争に関する全ての体験と、その結果として生まれたこの作品は、彼の”自由意志”とは全く無関係なところで生まれたものだとヴォネガットは感じていたのかもしれない。そんな風に思うのは、僕の勝手な妄想だろうか。

現代アメリカ文学の代表的作家、カート・ヴォネガットは「タイタンの妖女」を書いた。「猫のゆりかご」を書き、「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を書き、「ジェイルバード」を書き、「ガラパゴスの箱舟」を書いた。どれもが素晴らしい作品だ。そしてどれもが楽しく、愉快な作品だ。彼はきっと鼻が高いだろう。だとすれば、僕も「スローターハウス5」について言わずもがなの文章をぐだぐだと書かずに、もっと楽しい作品について語るべきかもしれなかった。でもしかたがない、僕はこうして書いてしまったし、ビリー・ピルグリムに言わせれば、人間はみんな自分のすることをしなければならないのだから。

さようなら、ヴォネガット。さようなら、こんにちは。そして、ありがとう。

「スローターハウス5」 カート・ヴォネガット(米) 1969 
"EVERYTHING WAS BEAUTIFUL, AND NOTHING HURT" ★★★★★

スローターハウス5
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# by k_g_zamuza | 2007-04-26 22:10 | SF的生活

Book to Film (5) 「華氏四五一度」/「華氏451」

SF映画といえば「2001年宇宙の旅」?はたまた「ブレードランナー」?いやいや、ここではフランソワ・トリュフォーの「華氏451」を取り上げたいのです。

フランソワ・トリュフォーといえば、押しも押されぬヌーヴェルヴァーグの第一人者。はい、正直何のことやらわからず書きました(笑)が、この「華氏451」はいかにもセンスの良い小品、という感じでかなり気に入ってしまいました。たしかに地味で、のろくて、パッと見た印象はただの古臭い映画のようなのですが、眺めていると映し出される1シーン、1カット毎に何故か気を惹かれてしまうのですね。もちろんそのすべてが理解出来るわけではないし、今となってはあまりにも時代遅れに感じられるような部分もあるのですが、少なくともどの場面もただなんとなく撮った映像では無いということだけはしっかり伝わってくる。大げさに言えば、作り手の意思の力に満ちている、ということでしょうか。ふうむ、つまりこれがハイドンの音楽にも通じる、柔軟な好奇心に満ちた、求心的かつ執拗な精神ってやつですね?ホシノちゃん(笑)

原作はレイ・ブラッドベリの代表作で、本好きには避けて通れぬ(?)「華氏四五一度」。あらゆる書物が禁止された未来の管理社会で、焚書を仕事にしているはずの主人公が、ふとしたきっかけで読書に目覚めてしまう…というストーリーは、当時猛威を振るっていたマッカーシズムに対する強い反感から生まれたものだと解説には書かれていますが、歴史、特に政治史には極めて弱い僕には正直あまりピンときません。が、作中で描かれるディストピアはむしろ現代の読者にこそリアルな重みを持って迫ってくるのではないでしょうか。

映画のラストで、ブラッドベリの「火星年代記」くんが登場するのには思わずにやりとさせられましたが、「思い思いの1節を暗唱しながら雪の中を行き交う”本の人々”」という映像は(誰もが思うことのようですが)やはりすごく印象的でした。ある意味ではなんてことの無いシーンなのに、何故だろう?ちなみに原作ではもっと壮絶なラストが用意されているのですが、それをそのまま映画にしてしまうとたぶんすごく興ざめなものになっていたと思います。ラスト以外にも原作からの変更点は少なくないのですが、作品全体としては原作のテーマをかなり巧く(驚くほど、と言っても良いかもしれない)表現しているのではないかと。トリュフォーの作品の中では失敗作とみなされることが多いそうですが、なかなかどうして、優れた映画だと僕は思います。主演のオスカー・ウェルナーの無感動でシュールな演技も良い味を出していますし(撮影当時、主演のオスカー・ウェルナーとトリュフォーの関係はかなり険悪だったという話ですが…)ジュリー・クリスティは綺麗な人形のようで魅力的ですね。(というか、見ていてちょっと「サンダーバード」の人形を思い出してしまったのですが、それはさすがに失礼?)

ところで、電子化の進んだ現代においては”本の人々”になろうと思えば今や誰もが簡単になれるわけです。使い慣れたiPod に朗読データを放り込んで、こっそりイヤフォンで聞けば良い。そして、別に本に限らず、タブーとされる画像にしろ、発売禁止になった音楽にしろ、大抵のものはインターネットを通じて入手出来てしまう時代でもあります。が、それがブラッドベリの望んだ姿であるとは到底思えないのはどうしてなのか、ときどきちゃんと考えてみる必要がありそうです。

禁止されたものを取り戻すだけでなく、ときに押し付けられたものを振り払う。その理性、その知性が、どうか僕らと共にありますように。

***

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# by k_g_zamuza | 2007-03-13 23:06 | Book to Film

私の愛したSF(28) 「かめくん」

本当はいつも誰かに訊いて欲しくてうずうずしているのに、なかなか訊いてもらえない質問がある。

「最近面白かった本は?」

これだ。26歳にもなるとたいていの人はこういう子供っぽい話題にはなかなか付き合ってくれなくなるようで、僕としては寂しい限りなのだが、2ヶ月ほど前、久しぶりに話した友人から、ちょっと予想もしないタイミングでこの質問が飛び出した。あまりに唐突だったのでけっこう驚いたのだけれど、そんなそばから頭の中では勝手にカラカラと検索が始まって、このひとに薦めるならアレとコレと…なんて考えている自分がいて、なんだかすごく可笑しかった。

そのときは結局5、6冊を薦めてみたのだけれど、その中に1冊くらい毛色の変わったものも、と思って入れたのが今回の作品、北野勇作「かめくん」である。ちなみにタイトルがあまりに面白かったらしく、あとでずいぶん笑われたのだけれど、幾ら笑ってくれても結構、誰が何と言おうとこれは希代の名作なのだ。

というわけで、これから「かめくん」がいかに優れたSFかを書いていきたいところなのだけれど、こうやっていざ書こうとすると困ったことに言葉がぜんぜん出てこない。たとえば構造が椎名誠のSFに似ているとか、「ドラえもん」だとか、「ヨコハマ買い出し紀行」だとか、いやむしろ「かんがえるカエルくん」だとか、そういうことを言ってみてもあまり面白くはないだろう。癒し系とかほのぼの系だなんて言葉を安易に使いたくもない。そんなカテゴライズはもったいない。だからといって、仰々しく持ち上げたいかと言われるとそうでもない。日本SF大賞受賞なんて肩書きばかりに気をとられていると大事なことを見落としてしまいそうだ。

「かめくんはかめくんであってかめくんでしかないのだから」

なんていう作中の言葉をつかまえて分かった様なふりをしたくもない。(そもそもこんな書き方は反則すれすれだろう)かめくんがモノレールに乗って僕が住んでいるところまで通ってきていることを書いてみても何も始まらない。なんというか、そういう一切の説明を拒否するようなところで成立している作品なのだ、これは。

仕方が無いので僕はとりあえず黙って本を渡すことにしている。読まなければわからないし、読めばもうそれで良い。そういう本があったって良いだろう。自分がほんもののカメではないことを知っていて、どこにも所属していないことを知っていて、リストラされて職を探してまた働いて、ときどき好きなリンゴを食べたり誰かに憧れたり本を読んだり映画を観たり、何かに巻き込まれたり戦ったり猫を可愛がったり、学んだり忘れたりまた思い出したり、そうやってやってきて、また去ってゆく。それが「かめくん」。それだけのことなのだ。

「かめくん」 北野勇作(日) 2001
日本SF大賞

うまいうまいうまいうまいうまいうまい ★★★★

かめくん
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# by k_g_zamuza | 2007-02-02 12:55 | SF的生活

Book to Film (4) 「鼠たちの戦争」/「スターリングラード」

戦争モノの魅力ってなんだろうか。よくわからないけれど、小説にしろ映画にしろ、戦争を題材にした作品はフィクション、ノンフィクションを問わず古今東西星の数ほどあって、傑作と呼ばれる作品も実に多い。僕も好きなものを挙げろと言われれば10コくらいはすらすらと思いつくけれど、その中でも常にマイランキングの上位にあるのがロビンズの小説「鼠たちの戦争」なのだ。

独ソ戦の大きな転機となった史上最大の市街戦、スターリングラード攻防戦を舞台に、ソヴィエト側のスーパースナイパーとドイツ側のスーパースナイパーによる狙撃兵同士の一騎打ちを描いたこの作品、なんと史実に基づくというからすごいのである。

主人公ヴァシリ(小説ではワシーリィ)・ザイツェフはレーニン勲章まで受章した実在のソ連の英雄で、さっき調べたらウィキペディアに写真入りで載っているのに気がついた。大型のライフルを構え、ちょっと困ったような笑いを浮かべるザイツェフは、このとき今の僕と同じ年齢のはずで、写真ではごくあたりまえの青年に見える。本文中には257人の敵兵を殺害、とあるけれど、残念ながらその数字の持つ意味が僕にはまったくイメージが出来ない。(257匹のマウスなら僕も殺したと思うけれど)本当はどんな人だったんだろうか。

小説ではシベリア出身の元猟師で、その天才的な狙撃技術によりスターリングラードの生ける伝説となった若き曹長「兎」ことザイツェフと、打倒ザイツェフの切り札としてドイツから送り込まれた狙撃学校の「校長」ハインツ・トルヴァルト大佐の息詰まる決闘を中心に、熾烈を極めた市街戦の有様がソヴィエト、ドイツ両軍の兵士の視点で交互に語られてゆく。銃弾が雨あられのように飛び交うのかと思いきや、これはあくまでも狙撃兵の戦い、1発の銃弾が発射され、1人の人間が倒れる、その間に交わされたかけひき、策略、心理戦の様子が、ときに何十ページにもわたって丹念に描かれる。それが退屈かといえばそんなことは全く無くて、あたかも自分がその戦場にいて、見えない敵の十字線から逃れるべく、瓦礫の影に必死で身を縮め、息を殺してあたりを伺っているような気分にさせられるから、これはなかなか大した筆力だと思う。(筆者のロビンズはこの作品の後も戦争モノを何作か書いているようだけれど、その精緻な描写力は確かに戦争を描くのに向いているような気がする)クライマックスの対決シーンは何度読んでもスリリングで、僕はつい何度も読み返してしまう。

さて、映画「スターリングラード」は、正確には「鼠たちの戦争」を原作にしたわけではなく、同じ史実を元に映画化したものだったと思うけれど、このくらいの距離感が小説と映画、お互いを邪魔せずに楽しめてちょうど良いような気もする。ヴァシリを演じるジュード・ロウはちょっとスマートすぎ、若々しすぎで小説のザイツェフのイメージとはだいぶ違うし、そもそも全然ロシア人に見えなかったのだけれど、突然戦場に駆り出された田舎育ちの素朴な青年が、その射撃の才を見出され、英雄に祭り上げられてゆく、というストーリーには合っているとも思った。対するケーニッヒ少佐役のエド・ハリスも臆病者の「校長」トルヴァルトとはやはりイメージが違ったけれど、こちらは風格漂うナチの将校を見事に演じており、すごく魅力的だ。

ストーリーは、もちろん大まかな流れは小説と同じなのだが、シリアスな戦闘描写の隙間にいささか場違いな感のあるヴァシリ、ターニャ、ダニロフの三角関係が押し込められており、ラストも安直なハッピーエンドになっていて、それがいささか勿体無い気がする。のだけれど、なんというか(この辺は感じ方が大きくわかれるところだと思うけれど)「娯楽映画なんだからその辺は割り切ろうぜ」的な雰囲気があって、僕は不思議とまあこれで良いかという気にさせられた。だから観終わった後の印象は決して悪くなく、うん、面白かったな、と素直に思ったのだ。特別話題になった映画ではないと思うけれど、これが意外と良いんだよね、ちょっと観てみたら、と言いたくなる作品かもしれない。

ところでどうでも良いかもしれないけれど、劇中のザイツェフとターニャのラヴシーンがなんだかやたらとエロティックでドキドキしてしまったのだが、この辺はさすがフランス人監督ということなのか、よかったら誰か教えてください。

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# by k_g_zamuza | 2007-01-24 16:00 | Book to Film