私の愛したSF(26) 「五分後の世界」

中田英寿と他の代表選手達との温度差について、事あるごとに煽り立てるマスコミの報道姿勢はどうかとも思うけれど、それがずいぶん昔から言われ続けているということは、やはり「ヒデはちょっと違う」というのは事実なのだろう。

(結局、中田ヒデやイチローは頭が良すぎるのだと思う。パス1本、スイング1振りにすら意味を求め、思想を込めるような彼らのあり方は、そうではないタイプの人たちから見ればほとんど理解不能かもしれない。そして、残念ながら前者が後者より必ず優れているとは言えないのだ。どんなに優れた思想も強力無比な一撃の前では無力になる、それがスポーツなのだから)

ともあれ、「孤高の中田」というキャッチフレーズを目にするたびに僕はいつも思い出す本があって、それが今日の1冊、村上龍「五分後の世界」である。

”現代から時空が5分ずれたもうひとつの日本。そこは太平洋戦争で降伏しなかった日本、国土を失い、地下へと潜み、人口わずか二十六万の戦闘的小国家として生まれ変わった日本=アンダーグラウンドであった。アメリカを中心とした連合国相手に激烈なゲリラ戦を続けるUG兵士達の目的はただ一つ、生存し続けること。そして、敵にもわかるやりかたで、世界中が理解できる方法と言語と表現で、日本国の勇気とプライドを示し続けること…”

中田ヒデと村上龍の間にはかなりの親交があるらしいけれど、僕は中田語録を読み漁っているわけでも村上龍の熱心な読者でもないので実際どういった付き合いなのかは分からない。中田が「五分後の世界」を読んだのか、(たぶん読んでいるだろう)読んでどう感じたのかも知らない。ただ、村上龍がこの本に込めたメッセージと中田ヒデのサッカー哲学のベクトルはぴたりと一致しているようにみえる。フィジカルを徹底的に鍛え、セリエではイタリア語を、プレミアリーグでば英語を当たり前のように話し、不正確な日本人記者の質問には顔をしかめ、ブラジル戦の前には守らなければならないものは唯一”誇り”だと言いきった中田ヒデは、まるでUG兵士そのものだ。

サッカーの話ばかりで恐縮だけれども、本当に強い代表チームの選手は必ずプライドをかけてプレーする。ブラジルの、イングランドの、イタリアの、アルゼンチンの、ドイツの、各々のサッカーの歴史と伝統の重みを、たぶん彼らは理屈ではなく幼いころから肌で感じて知っているのだろう。

翻って今回のW杯、日本代表のうちいったいどれだけの選手が「日本サッカーの誇り」を意識してプレーしたのだろうか。ブラジル戦後の会見でジーコが言った、「この歴史の少なさの中で本当にW杯に行くんだという気持ち、非常に軽い気持ちで来てしまった選手もいるかもしれない」という言葉は極めて正直なセリフだろうと僕は思った。ブラジル人のジーコには、セレソンが本当に特別なものだ、ということを十分に理解しない選手が居ることは信じられないことだったに違いない。

全員が中田のようにはなれないかもしれない。それでも、ともすれば最も個人主義的とさえ見られる男こそが、ひょっとしたら誰よりも日本の誇りを意識し、そのために戦っているのかもしれないということにもっと多くの人が気づいてくれれば良いのにな、と僕はときどき思う。

ところで村上龍だけれど、僕は正直あまり好きな作家ではない。書くもののレベルにばらつきがありすぎるし、欲が出すぎた顔をしているのも気に入らない。ときどきあまりに陳腐で俗っぽいことを書いたり話したりしているのを見て呆れることもある。それでも、彼の描写力にときどきもの凄い力が宿ることは、これは認めなくてはならないだろう。「五分後の世界」はページ数のほとんどが戦闘描写に費やされる。そして音楽、ダンス、暴動…曖昧さを徹底的に排した正確無比な描写だけが表現しうる小説世界を、一度体験してみてください。続編「ヒュウガ・ウイルス」も僕は好きです。

「五分後の世界」 村上龍(日) 1994
”生きのびることだけを考える、それがゲリラの本質だ” ★★★★☆

五分後の世界
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by k_g_zamuza | 2006-06-28 12:01 | SF的生活


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