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私の愛したSF(27) 「果しなき流れの果に」

友人から、公開中の映画「日本沈没」の原作を読みたいと思うんだけれど、小松左京ってどんな感じ?と訊ねられて、そんなに沢山読んだわけじゃないし、「日本沈没」も未読だけれど、一言でいうなら「昭和SF」という感じかな、と答えてみた。

そう、どうしてなのかわからないけれど、小松左京のSFを読むたびに僕が感じるのは、いわゆる古き良きSF、古典的SFというのとも微妙に違う、なんともいえないノスタルジックな感覚であって、それはたとえばつげ義春の漫画から感じる郷愁と同タイプのもののように思う。要するに、彼の作品はどれだけ遠い未来を描こうとも、感じる印象が常に「戦後」であり「昭和」なのだ。(このあたり、同世代の星新一の作品がほぼ完全に時代を超越しているのと好対照かもしれない)そのせいで、小松左京のSFはどれを読んでもあまりSFを読んだという気がしないのだが、ともかく1冊とりあげてみよう。作品は最高傑作の呼声も高い「果しなき流れの果に」

”N大理論物理研究所の助手、野々村が、上司である大泉教授とその友人・番匠谷教授に呼び出されて見せられたもの、それは中生代白堊紀の地層より出土したという、永遠に砂の落ち続ける砂時計であった!驚異的な発見の謎を解くべく発掘現場の調査を開始した一行であったが、周囲に怪しい男の影がちらつき、事態は不穏な方向へと進んでゆく。彼らが知らず巻き込まれたもの、それは十億年もの時間と空間をこえた、「意識の進化」のための果てしなき戦いであった…”

さて、「人類はどこから来て、どこへ行くのか?」という壮大な(同時にありがちでもある)テーマを扱ったこの作品、一応上のような作品紹介を書いてはみたものの、これを読んでも具体的にどんな話なのかはさっぱりわからないだろう。実は、読んでもイマイチよくわからないのだ(苦笑)

導入部分はなかなか良い。地に足のついた書きっぷり(冒頭から真顔で”四次元空間”なんて言葉が飛び出すのはご愛嬌)とサスペンスフルな展開で読ませてくれる。ただ、この部分はあくまで全体の4分の1程度で、ここから先がどうにも詰め込みすぎかつ飛ばしすぎなのだ。ちなみに”詰め込みすぎかつ飛ばしすぎ”なのでこの作品をワイドスクリーン・バロックに分類する人も居るようだけれど、最も大切な要素である「バカ」が欠けているので個人的にはまったくWSBを感じなかった。

早川書房版の解説でも指摘されていることだが、特に後半、物語としての完成度にはかなり不満を感じてしまう。それは作者も十分承知した上でのことだというけれど、(作品というよりは未来のラフスケッチ、あるいはフィールドノートとのこと)綿密に書き込まれた細部のディテールがあってこそ、壮大なヴィジョンが生きると僕は思うし、(例外的に、ワイドスクリーン・バロックだけは細部を完全に無視することで成功しているとも言える)ともかく個人的にはせっかく面白いテーマを扱っているのにどうにもアピール不足かつ散漫な印象が拭えず、最後まで完全には乗り切れなかった。

ちりばめられたアイデアの中にはキラリと輝く断片が幾つもあって、小松左京の能力は確かに非凡なものだと思うけれど、「今読んでも古臭さを感じさせない」とか「世界観が変わった」とまで言われると、他にどんなSF読んできたのだろうと思わないことも無かったりする、僕にとってはそんな作品なのでした。ここでそんなに感動してちゃあ、身体がもたないぜ?

ところでモノレール文庫、というのをご存知だろうか。大阪モノレールを利用する人以外は当然知らないと思うけれど、待ち時間が長めのモノレールに乗るとき、駅構内に本棚があってそれを好きに持ち出して良いという天国のようなシステムなのだが、実は「果しなき流れの果に」はそのモノレール文庫で借りて読んだ本なのでした。物語の前半部の舞台も大阪なので、ちょっとした運命を感じたり、感じなかったり。いやはや、どうでも良いですね。

「果しなき流れの果に」 小松左京(日) 1966
”それは長い長い・・・夢物語です” ★★☆

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by k_g_zamuza | 2006-08-05 16:36 | SF的生活


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