Book to Film (2) 「ジョゼと虎と魚たち」

田辺聖子の短編集「ジョゼと虎と魚たち」の表題作は、分量にしてわずか数十ページ、10分もあれば読み終わってしまう。が、その数十ページがやたらに濃い。濃密な死の匂い、欲の匂い、そしてなにより女の匂いが充満して、オトコの僕ではむせ返って少し呼吸が苦しい。これより長いと読めなくなってしまいそうだが、そのぎりぎりのところで心に触れてくる。

こういう小説は、この世のすべてに絶望した人が、せめて最期に綺麗な夢を見ることを望んだ、その夢のようなものとして成立しているのだと思う。つまり、原則としてどうしようもなくデッドなファンタジィなのだ。少なくとも、僕はそう読んだ。

そんなわけだから、映画が始まってしばらくは頭が混乱していた。何が違うのか良くわからないまま、なんだかだんだん腹まで立ってきた。ようやく気がついたのは、物語も終盤に差し掛かかったあたり、ジョゼの「息子」がジョゼに車を貸しに来るくだりまで観てからのことだった。

「ああ、つまりこの映画は生きてゆく物語、リアルでライヴな物語なのだ」

それでようやくカチリとはまって、それ以降はすいすいとのっていけた。

恒夫があまりにも平凡な大学生であることが不思議だった。馬鹿をやれる友人達がいて、いい仲の女友達がいて、気になる女の子がいる。ジョゼのファンタジィに付き合うには明らかに役不足で、そもそもソレに付き合う必要が恒夫には無い。映画のストーリーは恒夫に現実の傷と痛みを与えたが(当然のことだ)、それと同時にジョゼにもリアルな世界で生きてゆくことを強いて、最後のシーン、電動車椅子に乗り颯爽とゆくジョゼは力強く美しいかもしれないが、そこには小説にあったファンタジィが入り込む余地は無かった。下半身不随の25歳の女性、フランソワーズ・サガンに影響されて「ジョゼ」を名乗るクミ子と、その「管理人」を自認する23歳の恒夫のおとぎ話は、そもそもはじめからほとんど無視されているのだ。

犬童監督がどういう思いであの原作からこの映画を撮ったのか、僕はちょっと量りかねている。初めからこう読んだのかもしれないし、意図的にこう作ったのかもしれないし、撮ってゆく最中でこう動いていったのかもしれない。実は映画を観た後、ひょっとしたら僕の方がミスリードをしていたんじゃないかと少し不安になって、原作を何度か読みかえしてもみた。(あるいは大阪弁のニュアンスをとり損なっているかもしれない)でも、やはり原作と映画、両者のベクトルは完全に真逆を向いていると僕は思う。そのどちらが良い、悪いではない。僕の想像とまるで違ってはいたけれど、すごく良い映画だった。俳優陣の演技も良く、映画を観た人の多くは、きっとどこかに共感したり何かを思い出したりして心を動かされるだろう。僕も恒夫が号泣する場面には感心したし、素直に感動もした。(出来ることならべしょべしょと一緒に泣いてもみたかった)

ただ、いつまでもファンタジィに遊んでいたいコドモな僕らにとっては、こういう映画を観ると少し淋しく思うのも(映画のストーリーが、では無い)本当のことなのだ。エンドロールでくるりが「ハイウェイ」を歌って、僕もちょっとだけ、どこかへ出かけてしまいたい気分だった。”僕が旅に出る理由は、だいたい百個くらいあって、、、”

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ジョゼと虎と魚たち
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by k_g_zamuza | 2007-01-09 18:58 | Book to Film


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