カテゴリ:SF的生活( 41 )

さようならヴォネガット!私の愛したSF(29) 「スローターハウス5」

4月11日に、アメリカの小説家、SF作家であるカート・ヴォネガット氏が亡くなった。ファンにとってはもちろん哀しいニュースだが、ただ、転んで打ち所が悪くて死ぬなんていうのはいかにもヴォネガット的だとも思う。「だから言ったろう?そういうものだ」なんて、今頃天国で笑っているかもしれない。

SF的生活では、ヴォネガット作品は私の愛したSF(10)で取り上げている。そこで彼のほかの作品もこれからどんどん紹介すると書いたはずなのに、続きを書かないうちに本人が逝ってしまった。3ケタを目指して始めたはずのこのカテゴリも、2年も経ってようやく”愛したSF”が28冊、”SF国境線”が10冊という体たらく。こんなことでは申し訳がたたないのだが、ささやかながら、哀悼の意を込めて、僕のもっとも好きな「スローターハウス5」を取り上げたいと思う。



スローターハウス5
または
子供十字軍
死との義務的ダンス

カート・ヴォネガット・ジュニア

ドイツ系アメリカ人四世であり
いまケープ・コッドにおいて
(タバコの吸いすぎを気にしつつも)
安逸な生活をいとなむこの者
遠いむかし
武装を解かれたアメリカ軍歩兵隊斥候
すなわち捕虜として
ドイツ国はドレスデン市
「エルベ河畔のフローレンス」の
焼夷弾爆撃を体験し
生きながらえて、この物語をかたる。
これは
空飛ぶ円盤の故郷
トラルファマドール星に伝わる
電報文的分裂症的
物語形式を模して語られた
小説である。
ピース。


これは「スローターハウス5」の見開きの1ページである。このエントリを書くために久しぶりに読み返そうと思って本を開いた僕は、このページを読んで思わず泣きそうになってしまった。率直に言って、ここに付け加えるべき言葉は何も無いような気がする。そもそも、彼は自分の死に際し、この作品を代表作として取り上げられることを喜ぶだろうか。それが不安になった。

「スローターハウス5」は、第二次大戦中、実際に行われたドレスデン爆撃を題材にし、それを身をもって体験した作者によって書かれた反戦小説である。高名な物理学者フリーマン・ダイソン(SFファンにはなじみ深い、ダイソン球の提唱者)は、第二次大戦時、イギリスの爆撃空軍司令部のオペレーショナル・リサーチという形でこのドレスデン爆撃にかかわっている。彼は長い間ドレスデンについて1冊の本を書こうとしていたが、ヴォネガットの「スローターハウス5」を読んで、自分が書く必要が無くなったことを知ったという。「彼の本は、すぐれた文学であるばかりでなく真実の記録でもある」とダイソンは書いている。

ところで、「スローターハウス5」の主人公ビリー・ピルグリムは”けいれん的時間旅行者”である。彼は何の脈絡もなく、時空をあちこちと飛び回る。作中では鉛管工事の吸い上げカップに似た緑色の宇宙人が重要な役割を占め、物語のいちばん最後の言葉は「プーティーウィッ?」である。そんな小説が「真実の記録による反戦小説」であることなどありえるだろうか?

読めばわかるけれど、答えはYESである。というか、ヴォネガットにはたぶんこの方法しか無かったのだ。

ヴォネガットは戦争になど行きたくなかっただろう。捕虜になって味方の爆撃を受けたりしたくはなかっただろう。書かずに済むものならば、「スローターハウス5」を書きたくはなかったかもしれない。しかし彼は書かざるを得なかった。彼は物を書く人であり、自らに穿たれた体験を書くことは彼の使命だった。彼はその作業に二十数年の歳月を費やし、ありったけのユーモアと、ジョークと、悪ふざけを注ぎ込み、キルゴア・トラウト、エリオット・ローズウォーター、ハワード・W・キャンベル・ジュニア、トラルファマドール星人、ラムファード一族、その他いろいろの力を借りて、どうにかこれを書き上げた。後に自作の採点をしたときに、彼はこの作品に「猫のゆりかご」と並んで最高点をつけているけれど、それでもヴォネガットはこの作品を「失敗作」と呼び、次は楽しい小説を書こうと思い、事実そのようにした。

ひょっとしたら、彼の戦争に関する全ての体験と、その結果として生まれたこの作品は、彼の”自由意志”とは全く無関係なところで生まれたものだとヴォネガットは感じていたのかもしれない。そんな風に思うのは、僕の勝手な妄想だろうか。

現代アメリカ文学の代表的作家、カート・ヴォネガットは「タイタンの妖女」を書いた。「猫のゆりかご」を書き、「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を書き、「ジェイルバード」を書き、「ガラパゴスの箱舟」を書いた。どれもが素晴らしい作品だ。そしてどれもが楽しく、愉快な作品だ。彼はきっと鼻が高いだろう。だとすれば、僕も「スローターハウス5」について言わずもがなの文章をぐだぐだと書かずに、もっと楽しい作品について語るべきかもしれなかった。でもしかたがない、僕はこうして書いてしまったし、ビリー・ピルグリムに言わせれば、人間はみんな自分のすることをしなければならないのだから。

さようなら、ヴォネガット。さようなら、こんにちは。そして、ありがとう。

「スローターハウス5」 カート・ヴォネガット(米) 1969 
"EVERYTHING WAS BEAUTIFUL, AND NOTHING HURT" ★★★★★

スローターハウス5
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カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤 典夫
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by k_g_zamuza | 2007-04-26 22:10 | SF的生活

私の愛したSF(28) 「かめくん」

本当はいつも誰かに訊いて欲しくてうずうずしているのに、なかなか訊いてもらえない質問がある。

「最近面白かった本は?」

これだ。26歳にもなるとたいていの人はこういう子供っぽい話題にはなかなか付き合ってくれなくなるようで、僕としては寂しい限りなのだが、2ヶ月ほど前、久しぶりに話した友人から、ちょっと予想もしないタイミングでこの質問が飛び出した。あまりに唐突だったのでけっこう驚いたのだけれど、そんなそばから頭の中では勝手にカラカラと検索が始まって、このひとに薦めるならアレとコレと…なんて考えている自分がいて、なんだかすごく可笑しかった。

そのときは結局5、6冊を薦めてみたのだけれど、その中に1冊くらい毛色の変わったものも、と思って入れたのが今回の作品、北野勇作「かめくん」である。ちなみにタイトルがあまりに面白かったらしく、あとでずいぶん笑われたのだけれど、幾ら笑ってくれても結構、誰が何と言おうとこれは希代の名作なのだ。

というわけで、これから「かめくん」がいかに優れたSFかを書いていきたいところなのだけれど、こうやっていざ書こうとすると困ったことに言葉がぜんぜん出てこない。たとえば構造が椎名誠のSFに似ているとか、「ドラえもん」だとか、「ヨコハマ買い出し紀行」だとか、いやむしろ「かんがえるカエルくん」だとか、そういうことを言ってみてもあまり面白くはないだろう。癒し系とかほのぼの系だなんて言葉を安易に使いたくもない。そんなカテゴライズはもったいない。だからといって、仰々しく持ち上げたいかと言われるとそうでもない。日本SF大賞受賞なんて肩書きばかりに気をとられていると大事なことを見落としてしまいそうだ。

「かめくんはかめくんであってかめくんでしかないのだから」

なんていう作中の言葉をつかまえて分かった様なふりをしたくもない。(そもそもこんな書き方は反則すれすれだろう)かめくんがモノレールに乗って僕が住んでいるところまで通ってきていることを書いてみても何も始まらない。なんというか、そういう一切の説明を拒否するようなところで成立している作品なのだ、これは。

仕方が無いので僕はとりあえず黙って本を渡すことにしている。読まなければわからないし、読めばもうそれで良い。そういう本があったって良いだろう。自分がほんもののカメではないことを知っていて、どこにも所属していないことを知っていて、リストラされて職を探してまた働いて、ときどき好きなリンゴを食べたり誰かに憧れたり本を読んだり映画を観たり、何かに巻き込まれたり戦ったり猫を可愛がったり、学んだり忘れたりまた思い出したり、そうやってやってきて、また去ってゆく。それが「かめくん」。それだけのことなのだ。

「かめくん」 北野勇作(日) 2001
日本SF大賞

うまいうまいうまいうまいうまいうまい ★★★★

かめくん
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by k_g_zamuza | 2007-02-02 12:55 | SF的生活

私の愛したSF外伝 「サマータイムマシン・ブルース」

年明けに山ほど観ていた映画の1本を、SF的生活で無理やりご紹介。本広克行監督、「サマータイムマシン・ブルース」

おかしなタイトルだ。「サマータイム・ブルース」ならエディ・コクランかThe Who か、さもなければ渡辺美里だろう。「タイムマシン」ならもちろんウェルズだ。それが合体しているということは、ピート・タウンゼントの風車弾きを動力に使ったタイムマシン?いやいやそんなバカな。

これを手に取ったのは、たまたま邦画が観たいような気分だった、「博士の愛した数式」はレンタル中だった、借りようと思っていた「笑の大学」の隣にあった、そしてタイトルが変だった、それだけだ。それだけだったのに、こうやってちゃんと出会ってしまうから人生は面白い。

話はとある大学の夏休み、グダグダな毎日を過ごすSF研究会の男子学生5人とカメラクラブの女子学生2人の前に、突如としてタイムマシンが出現する。軽い気持ちで乗ってしまったは良いものの、過去を変えると未来が変わり、このままではみんな消えてしまう!?ナンテコッタ、なんとかせねば、、、というドタバタ喜劇。もともと劇団「ヨーロッパ企画」の舞台を映画化したということで、たしかに表現は小劇場的で、それだけに先の展開は読みやすいのだけれど、それで面白さが失われるなんてことはもちろん無い。これはセンスオブワンダーを売りにするSFではなく、れっきとした青春群像劇なのだ。(じゃあここで紹介するなって?)

SFが何の略かも知らないSF研。何故か野球のユニフォームを持っているSF研。僕はSF研に居たことは一度もないけれど、こういうグダグダ感は何故だかよおく知っている。まず思い浮かんだのはゆうきまさみの漫画「究極超人あ~る」で、これはじっさい雰囲気がそっくりなのだけれど、それよりも僕が居た演劇部だって、同じことではなかったか。毎日同じメンバーと顔をつき合わせ、グダグダとつるんではくだらない遊びに夢中になり、ときにはロクでもないことをしでかして、なんとも非生産的、でもとにかく毎日がすごく面白かった。映画を観ていると、そういう大事なことがにやにや笑いと共によみがえってくる。そういうことが大事だったということをまた思い知らされる。そしてついでに、僕が映画を観ると思い出しマシーンになることがよく分かる。あ、だから「タイムマシン」で「ブルース」なのか。なるほど。

俳優に惹かれて借りたわけでは決して無いのだけれど、上野樹里と真木よう子の取り合わせは反則的にハマっていると思う。主役の瑛太くんは他のメンバーのハジケっぷりに喰われてしまって、頑張ったわりにはどうにも影が薄いのだけれど、最後の「苗字って、変えられるのかな?」には、予想は出来ていてもやはりくらりときてしまった。(ただし、僕はこのセリフの前に別のオチを思いついて、そちらのほうが個人的には気に入っているのだが)ついでに自分が佐々木蔵之介好きだということを確認。あ、どうでもいいか。

ええと、最後に、この映画、最初から最後までとにかく面白かったのだけれど、何度も言うけれどネタが劇場的なので、舞台ならきっともっと面白いんじゃないかということをずっと考えながら観ていた。(というかいちいち頭の中で舞台に変換していた。むしり取った昔とった杵柄だろう)ヨーロッパ企画の舞台もDVD化されているようなので、そちらも必ずチェックしようと思います。

「サマータイムマシン・ブルース」 (日) 2005
青春とは、グダグダな部活動のことである! ★★★★☆


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by k_g_zamuza | 2007-01-06 23:57 | SF的生活

私の愛したSF(27) 「果しなき流れの果に」

友人から、公開中の映画「日本沈没」の原作を読みたいと思うんだけれど、小松左京ってどんな感じ?と訊ねられて、そんなに沢山読んだわけじゃないし、「日本沈没」も未読だけれど、一言でいうなら「昭和SF」という感じかな、と答えてみた。

そう、どうしてなのかわからないけれど、小松左京のSFを読むたびに僕が感じるのは、いわゆる古き良きSF、古典的SFというのとも微妙に違う、なんともいえないノスタルジックな感覚であって、それはたとえばつげ義春の漫画から感じる郷愁と同タイプのもののように思う。要するに、彼の作品はどれだけ遠い未来を描こうとも、感じる印象が常に「戦後」であり「昭和」なのだ。(このあたり、同世代の星新一の作品がほぼ完全に時代を超越しているのと好対照かもしれない)そのせいで、小松左京のSFはどれを読んでもあまりSFを読んだという気がしないのだが、ともかく1冊とりあげてみよう。作品は最高傑作の呼声も高い「果しなき流れの果に」

”N大理論物理研究所の助手、野々村が、上司である大泉教授とその友人・番匠谷教授に呼び出されて見せられたもの、それは中生代白堊紀の地層より出土したという、永遠に砂の落ち続ける砂時計であった!驚異的な発見の謎を解くべく発掘現場の調査を開始した一行であったが、周囲に怪しい男の影がちらつき、事態は不穏な方向へと進んでゆく。彼らが知らず巻き込まれたもの、それは十億年もの時間と空間をこえた、「意識の進化」のための果てしなき戦いであった…”

さて、「人類はどこから来て、どこへ行くのか?」という壮大な(同時にありがちでもある)テーマを扱ったこの作品、一応上のような作品紹介を書いてはみたものの、これを読んでも具体的にどんな話なのかはさっぱりわからないだろう。実は、読んでもイマイチよくわからないのだ(苦笑)

導入部分はなかなか良い。地に足のついた書きっぷり(冒頭から真顔で”四次元空間”なんて言葉が飛び出すのはご愛嬌)とサスペンスフルな展開で読ませてくれる。ただ、この部分はあくまで全体の4分の1程度で、ここから先がどうにも詰め込みすぎかつ飛ばしすぎなのだ。ちなみに”詰め込みすぎかつ飛ばしすぎ”なのでこの作品をワイドスクリーン・バロックに分類する人も居るようだけれど、最も大切な要素である「バカ」が欠けているので個人的にはまったくWSBを感じなかった。

早川書房版の解説でも指摘されていることだが、特に後半、物語としての完成度にはかなり不満を感じてしまう。それは作者も十分承知した上でのことだというけれど、(作品というよりは未来のラフスケッチ、あるいはフィールドノートとのこと)綿密に書き込まれた細部のディテールがあってこそ、壮大なヴィジョンが生きると僕は思うし、(例外的に、ワイドスクリーン・バロックだけは細部を完全に無視することで成功しているとも言える)ともかく個人的にはせっかく面白いテーマを扱っているのにどうにもアピール不足かつ散漫な印象が拭えず、最後まで完全には乗り切れなかった。

ちりばめられたアイデアの中にはキラリと輝く断片が幾つもあって、小松左京の能力は確かに非凡なものだと思うけれど、「今読んでも古臭さを感じさせない」とか「世界観が変わった」とまで言われると、他にどんなSF読んできたのだろうと思わないことも無かったりする、僕にとってはそんな作品なのでした。ここでそんなに感動してちゃあ、身体がもたないぜ?

ところでモノレール文庫、というのをご存知だろうか。大阪モノレールを利用する人以外は当然知らないと思うけれど、待ち時間が長めのモノレールに乗るとき、駅構内に本棚があってそれを好きに持ち出して良いという天国のようなシステムなのだが、実は「果しなき流れの果に」はそのモノレール文庫で借りて読んだ本なのでした。物語の前半部の舞台も大阪なので、ちょっとした運命を感じたり、感じなかったり。いやはや、どうでも良いですね。

「果しなき流れの果に」 小松左京(日) 1966
”それは長い長い・・・夢物語です” ★★☆

果しなき流れの果に
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by k_g_zamuza | 2006-08-05 16:36 | SF的生活

私の愛したSF(26) 「五分後の世界」

中田英寿と他の代表選手達との温度差について、事あるごとに煽り立てるマスコミの報道姿勢はどうかとも思うけれど、それがずいぶん昔から言われ続けているということは、やはり「ヒデはちょっと違う」というのは事実なのだろう。

(結局、中田ヒデやイチローは頭が良すぎるのだと思う。パス1本、スイング1振りにすら意味を求め、思想を込めるような彼らのあり方は、そうではないタイプの人たちから見ればほとんど理解不能かもしれない。そして、残念ながら前者が後者より必ず優れているとは言えないのだ。どんなに優れた思想も強力無比な一撃の前では無力になる、それがスポーツなのだから)

ともあれ、「孤高の中田」というキャッチフレーズを目にするたびに僕はいつも思い出す本があって、それが今日の1冊、村上龍「五分後の世界」である。

”現代から時空が5分ずれたもうひとつの日本。そこは太平洋戦争で降伏しなかった日本、国土を失い、地下へと潜み、人口わずか二十六万の戦闘的小国家として生まれ変わった日本=アンダーグラウンドであった。アメリカを中心とした連合国相手に激烈なゲリラ戦を続けるUG兵士達の目的はただ一つ、生存し続けること。そして、敵にもわかるやりかたで、世界中が理解できる方法と言語と表現で、日本国の勇気とプライドを示し続けること…”

中田ヒデと村上龍の間にはかなりの親交があるらしいけれど、僕は中田語録を読み漁っているわけでも村上龍の熱心な読者でもないので実際どういった付き合いなのかは分からない。中田が「五分後の世界」を読んだのか、(たぶん読んでいるだろう)読んでどう感じたのかも知らない。ただ、村上龍がこの本に込めたメッセージと中田ヒデのサッカー哲学のベクトルはぴたりと一致しているようにみえる。フィジカルを徹底的に鍛え、セリエではイタリア語を、プレミアリーグでば英語を当たり前のように話し、不正確な日本人記者の質問には顔をしかめ、ブラジル戦の前には守らなければならないものは唯一”誇り”だと言いきった中田ヒデは、まるでUG兵士そのものだ。

サッカーの話ばかりで恐縮だけれども、本当に強い代表チームの選手は必ずプライドをかけてプレーする。ブラジルの、イングランドの、イタリアの、アルゼンチンの、ドイツの、各々のサッカーの歴史と伝統の重みを、たぶん彼らは理屈ではなく幼いころから肌で感じて知っているのだろう。

翻って今回のW杯、日本代表のうちいったいどれだけの選手が「日本サッカーの誇り」を意識してプレーしたのだろうか。ブラジル戦後の会見でジーコが言った、「この歴史の少なさの中で本当にW杯に行くんだという気持ち、非常に軽い気持ちで来てしまった選手もいるかもしれない」という言葉は極めて正直なセリフだろうと僕は思った。ブラジル人のジーコには、セレソンが本当に特別なものだ、ということを十分に理解しない選手が居ることは信じられないことだったに違いない。

全員が中田のようにはなれないかもしれない。それでも、ともすれば最も個人主義的とさえ見られる男こそが、ひょっとしたら誰よりも日本の誇りを意識し、そのために戦っているのかもしれないということにもっと多くの人が気づいてくれれば良いのにな、と僕はときどき思う。

ところで村上龍だけれど、僕は正直あまり好きな作家ではない。書くもののレベルにばらつきがありすぎるし、欲が出すぎた顔をしているのも気に入らない。ときどきあまりに陳腐で俗っぽいことを書いたり話したりしているのを見て呆れることもある。それでも、彼の描写力にときどきもの凄い力が宿ることは、これは認めなくてはならないだろう。「五分後の世界」はページ数のほとんどが戦闘描写に費やされる。そして音楽、ダンス、暴動…曖昧さを徹底的に排した正確無比な描写だけが表現しうる小説世界を、一度体験してみてください。続編「ヒュウガ・ウイルス」も僕は好きです。

「五分後の世界」 村上龍(日) 1994
”生きのびることだけを考える、それがゲリラの本質だ” ★★★★☆

五分後の世界
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by k_g_zamuza | 2006-06-28 12:01 | SF的生活

私の愛したSF(25) 「海からきたチフス」

しばらく前にMoth さんという方からコメントを戴いて、「少年少女21世紀のSF」というジュブナイルSFシリーズの話になったのだけれど、その中の1つ「ゼロの怪物ヌル」の著者は畑正憲、あのムツゴロウ氏が書いたSFなのである。

「少年少女21世紀のSF]は残念ながら絶版で、Moth さんの勧めで僕も復刊ドットコムに投票してきたけれど、(今見たら94票、もう少しだ!)実は「ゼロの怪物ヌル」は「海からきたチフス」と改題、文庫化されて、現在も入手可能なのでした。ちなみに僕が所有しているのは角川文庫版だけれど、現在書店で買えるのは新風舎文庫のもののようだ。

畑正憲の著作群、僕は昔から好きで、とりわけ「少年記」「青春記」「結婚記」「放浪記」の自伝4部作は最高に良くて、生物が大好きなのに文学も諦められず、気持ちだけが空回りして結局大学院を中退、ずぶずぶと自堕落な生活にはまり込んでゆくくだりなどはとても他人事とは思えないのだけれど(苦笑)、それはさておき「海からきたチフス」である。

”夏休み恒例の家族旅行で大島を訪れた中学3年生の主人公、木谷ケン。大好きな大島の海は、しかしいつもとはどこか違っていた。貝類をはじめとした沿岸の生物達が姿を消し、代わりに突如出現したのはさえない白いかたまり、謎の生命体ヌル。そろいもそろって生物好きの小谷一家がこの謎に取り掛かろうとしたとき、突然島を奇病が襲う!そしてさらにとんでもない事件が…”

いきなりだが、生物系のSFというのは、実は成立させるのがかなり難しいジャンルなのではないかと僕はよく思う。生物ならではのセンス・オブ・ワンダーを上手く伝えられずに、結局良く出来たホラーやサスペンスとしてまとまってしまう作品が少なくないような気がするのだ。(それが何故なのかは良くわからないけれど)

そういう意味で言うと、「海からきたチフス」はムツゴロウ氏初の小説ということもあり、はっきり言って技術的にはかなり未熟な仕上がりだ。無駄が多く、読んでいてギクシャクするところも少なくない。ただし、これでもかとばかりにぶちまけられたセンス・オブ・ワンダーは、間違いなく本物、一級品である。初めて読んだとき(もちろん「ゼロの怪物ヌル」として)当時小学生だった僕はあまりのカンドーとコーフンを誰かに話さずには居られず、しばらくの間は誰彼構わず捕まえては”無細胞生物が…”とか”ATPが…”とか自分でもよくわからないことをベラベラとしゃべりたおしていた記憶がある。(我ながら迷惑な子供だ)

そして今、こうやって自分が生物屋のはしくれになってから再読しても、この本の輝きは一向に失われてはいない。もちろん現在の目から見ればヌルという生物のアイデアはかなり乱暴なものではあるけれど、アイデアが現実的かどうかは良質のSFにとっての必要条件では全く無いし、本文中で述べられたヌルとウイルスとのアナロジーだけではなく、今流行のプリオン病のようなもののことを考えてみると、やはり専門家、核となる発想は非常に鋭かったと言うべきかもしれない。

ともかく、こればかりは読んでもらわないと伝わらない。ムツゴロウ氏をときどきTVに出ては動物を舐め回す変なじいさんだと思っている貴方、暇があれば彼の本をぜひ手に取ってみて欲しい。彼の生物への熱い思いがビンビンと伝わってくるはずだ。ちなみに解説で福島正実氏がその熱さを「執着」という言葉で表現しているけれど、ムツゴロウ氏の興味対象への入れ込みっぷりは(オオーヨシヨシ、オオーカワイイカワイイ!)たしかにいささか常人のレヴェルから逸脱しているような気がする。要するにある種の天才なのだろうというのが、彼に対する僕の正直な評価です。

最後に蛇足を2つ。さっきウィキペディアの架空の生物カテゴリにヌルの項目があることに気がついたのだけれど、これって実はかなりスゴイことではあるまいか。ヌルってそんなにメジャーでしたっけ?

それからATPによる治療について。作中でかなり重要なポイントとなる「ATP無効説」、実は僕はそんな話を聞いた事が無いのだけれど、少なくとも現在はATP製剤も注射剤も存在します。ムツゴロウ氏は生理学出身だから、全くのデタラメを書いたわけでは無いと思うのですが、どうなのでしょう。

「海からきたチフス」 畑正憲(日) 1969
動物王国のSF ★★★★

海からきたチフス
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by k_g_zamuza | 2006-05-19 19:01 | SF的生活

SF国境線(10) 「利己的な遺伝子」

このエントリは実は今年の1月に書いたものですが、書いてみたのはいいけれどどうにも気に入らなくてずっと非公開にしていたものです。気に入らない一番の理由は、たぶん松岡正剛氏の書評を読んでしまったからで、こんな的確な(本当に1つもポイントをはずさないですね)書評があるならもう僕が何を書いても無駄なような気がして、それは今でもそう思うのだけれど、ま、それでも自分なりに書いたのだからいいか、ということにして、ちょっとだけ修正を入れて公開することにします。(要は「SF的生活」の更新が滞り気味なので、没ネタのリサイクルを試みたわけ)

読んでみてなんやようわからん、と思った人は千夜千冊の方で補完してください。

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by k_g_zamuza | 2006-04-11 14:42 | SF的生活

私の愛したSF(24) 「時計じかけのオレンジ」

キューブリック監督による映画の方がずっと有名なように思うので、例によって映画は未見の僕があれこれ書いてもあるいは片手落ちになってしまうのかも知れないですが、ともあれ今回はアントニイ・バージェス「時計じかけのオレンジ」を。SFというかホラーというかちょっと微妙なところですが、近未来のディストピアを描いた風刺小説としてブラッドベリ等に通じる作風だと思うので、「愛したSF」で扱うことにします。

(ちなみに何故映画をあまり観ないのか、自分でもよく解らないけれどたぶん親のしつけが良かった?せいでTVの画面を眺める習慣がそれほど無いのが原因じゃないかなと。2時間TVの前に座っているのがどうにも面倒な気がしてしまうのです。もちろんいったん観始めればちゃんと最後まで楽しめるのですが、観始めるまでにやる気が無くなるというか…。ただ、今年は名作とよばれる映画を積極的に観てみようかなという気持ちがあるので、映画「時計じかけのオレンジ」もそのうち必ずチェックします)

“全体主義が勝利をおさめたと思われる近未来のイギリス。15歳の不良少年アレックスは、ロシア語まじりの若者ことばを吐き散らし、仲間を引き連れて夜な夜なけんか、強盗、強姦と非道の限りを尽くしていた。あるとき遂に殺人を犯し、また仲間の裏切りもあって刑務所へと放り込まれたアレックス。二年後、施行されたばかりの”ルドビコ法”により、暴力を振るえない身体へと科学的に矯正され、社会へと投げ返された彼を待っていた運命とは…?”

この作品、初っ端からバージェスオリジナルのスラングの嵐で、「モロコにベロセットとかシンセメスクとかドレンクロムなんてベスチを入れて飲んじゃう」とか「すごくスタリーて、きたないメストだが、すごく小さいマルチックのころ、六歳ごろのことかな、ここへ来たおぼえがあるだけだ」とか、(実際にはルビがふってあるんだけど)滅茶苦茶な言葉で溢れているのだけれど、読みにくいかと言われればそうでもなく、むしろ一種独特のリズムというか勢いがあって、ストーリーの面白さと相まって僕は一気に引き込まれて読みました。

ただ、読み終えて凄く面白かった、とは思うのだけれど、じゃあこの物語が風刺小説だというならばそのテーマは何だったのか?と考えるとこれがイマイチ良くわからない。強いて言えば欲望にまかせた人間の行為と、小賢しい知恵を振りかざす人間のそれと、果たしてどちらがより醜悪だろうか?といったことかと思うけれど、バージェスがこの作品中で成し遂げたかったのは、とにかく彼が発明した若者ことばに命を吹き込むこと(=アレックスという少年を描ききること)その1点だけだったような気もする。特に作者の意向に反して削られたという最終章がこちらで読めるのだが、これを読むとそんな印象が一層強まります。

Amazon のカスタマーレビューで、これは「ライ麦畑」のような青春小説じゃないか、と書いている人がいるけれど、確かに少年の口語による一人称という形式が共通なこともあって、「時計じかけのオレンジ」を超暴力的なホールデン少年の物語として読むのは、少なくとも僕には非常にしっくり来ました。ともあれこの作品はほんとハラショーなんで、未読であればぜひ一読をすすめます、兄弟よ。

「時計じかけのオレンジ」 アントニイ・バージェス(英) 1962
“よう、これからどうする?” ★★★★☆

時計じかけのオレンジ
アントニイ・バージェス 乾 信一郎 Anthony Burgess
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by k_g_zamuza | 2006-02-08 21:18 | SF的生活

私の愛したSF(23) 「鼠と竜のゲーム」

人並みはずれて数奇な運命を辿り、その合間に正体を隠してSFを書いた博士、といえばティプトリーだが、実は良く似た経歴を持つ人物がもう一人居ることを知った。今回紹介する「鼠と竜のゲーム」の作者、コードウェイナー・スミスである。

コードウェイナー・スミス、本名ポール・ラインバーガー。1913年生。父親がかの孫文の法律顧問であった縁で、孫文その人から「林白楽」という中国名を貰っている。成長期に各国を渡り歩き、日本や中国の文化にも造詣が深い。ジョンズ・ホプキンズ大学教授として政治学を教え、その一方で軍人でもあり、第2次大戦時には中国で情報部員として活動し、その経験を「心理戦争」という専門的な本にまとめた。その他多くの筆名による著作多数。詳細はウィキペディアに丁寧に書いてあったのでそちらでどうぞ。

さて、「鼠と竜のゲーム」は「人類補完機構シリーズ」(どこかで聞いたような名前だが、もちろんこちらが本家)と呼ばれるスミスの一連のSF作品群の最初のものにあたる短編集で、シリーズは以下長編「ノーストリリア」、短編集「シェイヨルという名の星」「第81Q戦争」と続く。各作品はおよそ1万5千年という長大な宇宙史の断片的スケッチとして描かれており、読者はスミスの巨大な宇宙のほんの一部を垣間見ることしか許されないのだが、そのイメージのユニークさは全く尋常ではない。尋常ではないけれど、その世界はスミスの卓越した筆により、たしかに実在するとしか思えない重みを持って読者を圧倒する。いつものように収録された8篇から特に気に入った4篇についてコメントを書きます。

「鼠と竜のゲーム」
これぞまさしくキング・オブ・猫SF。(にゃんだそれは?)読んだ後は猫しか愛せなくなる危険性があるので要注意。しかし決して単なる猫萌えSFに終わらないあたり、天才だなこの人としみじみ思う。

「スズダル中佐の犯罪と栄光」
<猫の国>なんていうアイデアはほとんどおとぎ話のよう、時間歪曲ネタの扱いもいかにもイージーだが、あるいはそれも計算ずくなのかもしれない。”ここには真実はかけらもない”のだから。

「ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち」
サンタクララ薬という不老長寿薬の製造により、銀河系一裕福な惑星オールド・ノース・オーストラリア(ノーストリリア)。その鉄壁の防御機構がママ・ヒットンのかわゆいキットンたち。あまりにも”かわゆすぎて”精神崩壊します。

「アルファ・ラルファ大通り」
ここに描かれた<人類の再発見>のイメージときたらどうだ。「風の谷のナウシカ」だってかなわないんじゃないか。シリーズ最大のヒロインにしてSF界一の萌えキャラ(笑)猫娘ク・メルも登場する、まごうことなき傑作!

椎名誠がダン・シモンズ「ハイペリオン」を評して、ひとりの人間がこんなすごい世界を考えることが出来るということに驚く、というようなことを言っていたと思う。僕は実は「ハイペリオン」は積読状態なのだけれど、全く同じ言葉をコードウェイナー・スミスに捧げたい。ミャオウ!

「鼠と竜のゲーム」 コードウェイナー・スミス(米) 1950-1961 (1975 に短編集編纂)
博士の愛したSF ★★★★

鼠と竜のゲーム―人類補完機構
コードウェイナー・スミス 伊藤 典夫 浅倉 久志
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by k_g_zamuza | 2006-01-26 13:30 | SF的生活

私の愛したSF(22) 「銀河ヒッチハイク・ガイド」

読みたいのに手に入らないもどかしさ、本好きの方なら誰でも味わったことがあると思う。特にSFはそういう状況がある意味日常茶飯事なジャンルであって、傑作と謳われる本が絶版なんてことはザラである。(シマックの「都市」が絶版なんてありえんよねホント…)まあそのぶん古本屋を巡る楽しみがあるんだけど。

今回紹介する「銀河ヒッチハイク・ガイド」もそんな1冊で、世界中でカルト的人気を誇る作品ながら国内ではずいぶん長いこと絶版だったのが、昨年、映画化にあわせて新訳で出版されて僕もようやく読むことが出来たのでした。よかったよかった。

”ある日突然、あっけなく地球は消滅した。銀河バイパス建設のために取り壊されたのだ。サエないイギリス人、アーサー・デントは、友人フォードがたまたまペテルギウス星系出身の宇宙人だったおかげで助けられ、地球最後の生き残りとなる。右手にタオル、左手に「銀河ヒッチハイク・ガイド」を携え、全宇宙を股にかけたどうしようもなくシュールでおバカなヒッチハイクの旅が始まった…。”

これは元々イギリスBBCのラジオドラマを脚本担当だったダグラス・アダムスがノベライズしたもので、内容はスピードと笑い重視のスラップ・スティックSF。とにかく笑えるのだが、笑いの質が常にシニカル or ブラックなのはさすが(?)イギリス人といったところ。全宇宙を駆け回ってありとあらゆるものをバカにしたあげく、「人生、宇宙、すべての答え」なんて哲学的な問いにも答えてしまうあたり、(ちなみにこの答えはgoogle 電卓でも計算可能。お試しあれ)ヴォネガット「タイタンの妖女」に通じるところも多く(パロディなのかな?)僕は大好きですこういうの。たいしてヒッチハイクしてないじゃん!ってところ以外は最高でした。

この本には続編も幾つかあって、現在は2作目「宇宙の果てのレストラン」まで手に入るのだけれど、こちらは前作に比べるとやや散漫な印象で、僕は途中でちょっと飽きてしまった。ともかく1作目は文句無しに面白いので、最近笑いが足りないな、なんていう方にはモーレツにオススメします。

さて、トリビアの塊のようなこの作品、ウィキペディアで調べると山のような情報が得られるけれど、1つだけ載っていないネタがあったので紹介。主要キャラクタの1人にうつ病のアンドロイド”マーヴィン”というのが登場して、鬱々とした活躍(?)をするのだけれど、このマーヴィンこそRadiohead の「PARANOID ANDROID」のタイトル元だという。というわけでさっそく聴いてみた。うーん、ある意味ピッタリ?

「銀河ヒッチハイク・ガイド」 ダグラス・アダムス(英) 1980
DON'T PANIC ! ★★★★☆ 

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by k_g_zamuza | 2006-01-12 14:08 | SF的生活