カテゴリ:Book to Film( 5 )

Book to Film (5) 「華氏四五一度」/「華氏451」

SF映画といえば「2001年宇宙の旅」?はたまた「ブレードランナー」?いやいや、ここではフランソワ・トリュフォーの「華氏451」を取り上げたいのです。

フランソワ・トリュフォーといえば、押しも押されぬヌーヴェルヴァーグの第一人者。はい、正直何のことやらわからず書きました(笑)が、この「華氏451」はいかにもセンスの良い小品、という感じでかなり気に入ってしまいました。たしかに地味で、のろくて、パッと見た印象はただの古臭い映画のようなのですが、眺めていると映し出される1シーン、1カット毎に何故か気を惹かれてしまうのですね。もちろんそのすべてが理解出来るわけではないし、今となってはあまりにも時代遅れに感じられるような部分もあるのですが、少なくともどの場面もただなんとなく撮った映像では無いということだけはしっかり伝わってくる。大げさに言えば、作り手の意思の力に満ちている、ということでしょうか。ふうむ、つまりこれがハイドンの音楽にも通じる、柔軟な好奇心に満ちた、求心的かつ執拗な精神ってやつですね?ホシノちゃん(笑)

原作はレイ・ブラッドベリの代表作で、本好きには避けて通れぬ(?)「華氏四五一度」。あらゆる書物が禁止された未来の管理社会で、焚書を仕事にしているはずの主人公が、ふとしたきっかけで読書に目覚めてしまう…というストーリーは、当時猛威を振るっていたマッカーシズムに対する強い反感から生まれたものだと解説には書かれていますが、歴史、特に政治史には極めて弱い僕には正直あまりピンときません。が、作中で描かれるディストピアはむしろ現代の読者にこそリアルな重みを持って迫ってくるのではないでしょうか。

映画のラストで、ブラッドベリの「火星年代記」くんが登場するのには思わずにやりとさせられましたが、「思い思いの1節を暗唱しながら雪の中を行き交う”本の人々”」という映像は(誰もが思うことのようですが)やはりすごく印象的でした。ある意味ではなんてことの無いシーンなのに、何故だろう?ちなみに原作ではもっと壮絶なラストが用意されているのですが、それをそのまま映画にしてしまうとたぶんすごく興ざめなものになっていたと思います。ラスト以外にも原作からの変更点は少なくないのですが、作品全体としては原作のテーマをかなり巧く(驚くほど、と言っても良いかもしれない)表現しているのではないかと。トリュフォーの作品の中では失敗作とみなされることが多いそうですが、なかなかどうして、優れた映画だと僕は思います。主演のオスカー・ウェルナーの無感動でシュールな演技も良い味を出していますし(撮影当時、主演のオスカー・ウェルナーとトリュフォーの関係はかなり険悪だったという話ですが…)ジュリー・クリスティは綺麗な人形のようで魅力的ですね。(というか、見ていてちょっと「サンダーバード」の人形を思い出してしまったのですが、それはさすがに失礼?)

ところで、電子化の進んだ現代においては”本の人々”になろうと思えば今や誰もが簡単になれるわけです。使い慣れたiPod に朗読データを放り込んで、こっそりイヤフォンで聞けば良い。そして、別に本に限らず、タブーとされる画像にしろ、発売禁止になった音楽にしろ、大抵のものはインターネットを通じて入手出来てしまう時代でもあります。が、それがブラッドベリの望んだ姿であるとは到底思えないのはどうしてなのか、ときどきちゃんと考えてみる必要がありそうです。

禁止されたものを取り戻すだけでなく、ときに押し付けられたものを振り払う。その理性、その知性が、どうか僕らと共にありますように。

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by k_g_zamuza | 2007-03-13 23:06 | Book to Film

Book to Film (4) 「鼠たちの戦争」/「スターリングラード」

戦争モノの魅力ってなんだろうか。よくわからないけれど、小説にしろ映画にしろ、戦争を題材にした作品はフィクション、ノンフィクションを問わず古今東西星の数ほどあって、傑作と呼ばれる作品も実に多い。僕も好きなものを挙げろと言われれば10コくらいはすらすらと思いつくけれど、その中でも常にマイランキングの上位にあるのがロビンズの小説「鼠たちの戦争」なのだ。

独ソ戦の大きな転機となった史上最大の市街戦、スターリングラード攻防戦を舞台に、ソヴィエト側のスーパースナイパーとドイツ側のスーパースナイパーによる狙撃兵同士の一騎打ちを描いたこの作品、なんと史実に基づくというからすごいのである。

主人公ヴァシリ(小説ではワシーリィ)・ザイツェフはレーニン勲章まで受章した実在のソ連の英雄で、さっき調べたらウィキペディアに写真入りで載っているのに気がついた。大型のライフルを構え、ちょっと困ったような笑いを浮かべるザイツェフは、このとき今の僕と同じ年齢のはずで、写真ではごくあたりまえの青年に見える。本文中には257人の敵兵を殺害、とあるけれど、残念ながらその数字の持つ意味が僕にはまったくイメージが出来ない。(257匹のマウスなら僕も殺したと思うけれど)本当はどんな人だったんだろうか。

小説ではシベリア出身の元猟師で、その天才的な狙撃技術によりスターリングラードの生ける伝説となった若き曹長「兎」ことザイツェフと、打倒ザイツェフの切り札としてドイツから送り込まれた狙撃学校の「校長」ハインツ・トルヴァルト大佐の息詰まる決闘を中心に、熾烈を極めた市街戦の有様がソヴィエト、ドイツ両軍の兵士の視点で交互に語られてゆく。銃弾が雨あられのように飛び交うのかと思いきや、これはあくまでも狙撃兵の戦い、1発の銃弾が発射され、1人の人間が倒れる、その間に交わされたかけひき、策略、心理戦の様子が、ときに何十ページにもわたって丹念に描かれる。それが退屈かといえばそんなことは全く無くて、あたかも自分がその戦場にいて、見えない敵の十字線から逃れるべく、瓦礫の影に必死で身を縮め、息を殺してあたりを伺っているような気分にさせられるから、これはなかなか大した筆力だと思う。(筆者のロビンズはこの作品の後も戦争モノを何作か書いているようだけれど、その精緻な描写力は確かに戦争を描くのに向いているような気がする)クライマックスの対決シーンは何度読んでもスリリングで、僕はつい何度も読み返してしまう。

さて、映画「スターリングラード」は、正確には「鼠たちの戦争」を原作にしたわけではなく、同じ史実を元に映画化したものだったと思うけれど、このくらいの距離感が小説と映画、お互いを邪魔せずに楽しめてちょうど良いような気もする。ヴァシリを演じるジュード・ロウはちょっとスマートすぎ、若々しすぎで小説のザイツェフのイメージとはだいぶ違うし、そもそも全然ロシア人に見えなかったのだけれど、突然戦場に駆り出された田舎育ちの素朴な青年が、その射撃の才を見出され、英雄に祭り上げられてゆく、というストーリーには合っているとも思った。対するケーニッヒ少佐役のエド・ハリスも臆病者の「校長」トルヴァルトとはやはりイメージが違ったけれど、こちらは風格漂うナチの将校を見事に演じており、すごく魅力的だ。

ストーリーは、もちろん大まかな流れは小説と同じなのだが、シリアスな戦闘描写の隙間にいささか場違いな感のあるヴァシリ、ターニャ、ダニロフの三角関係が押し込められており、ラストも安直なハッピーエンドになっていて、それがいささか勿体無い気がする。のだけれど、なんというか(この辺は感じ方が大きくわかれるところだと思うけれど)「娯楽映画なんだからその辺は割り切ろうぜ」的な雰囲気があって、僕は不思議とまあこれで良いかという気にさせられた。だから観終わった後の印象は決して悪くなく、うん、面白かったな、と素直に思ったのだ。特別話題になった映画ではないと思うけれど、これが意外と良いんだよね、ちょっと観てみたら、と言いたくなる作品かもしれない。

ところでどうでも良いかもしれないけれど、劇中のザイツェフとターニャのラヴシーンがなんだかやたらとエロティックでドキドキしてしまったのだが、この辺はさすがフランス人監督ということなのか、よかったら誰か教えてください。

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by k_g_zamuza | 2007-01-24 16:00 | Book to Film

Book to Film (3) 「ティファニーで朝食を」

世の男どもというのは、他人に話すと笑われてしまいそうで、普段はこっそり隠しているけれど、本当はいつまでも大切にとっておきたい思い出を、きっと幾つも抱えているのだ。スタンド・バイ・ミーの友人がそうであり、自分だけのホリー・ゴライトリーもまた、そうだ。

小説「ティファニーで朝食を」の主人公はカポーティ自身と思しき作家、その彼のところに、昔なじみだった飲み屋の老主人から電話がかかってくるところから物語は始まる。それだけでもう、ホリーの話だな、とピンと来ている。もう何年も会っておらず、どこで何をしているのかもわからない。なのに、どうにも忘れがたい女なのだ。もう一度会ってみたいような気もするけれど、それよりもこうして彼女に振り回された男同士、ときどき噂話を交換しては、あとはそれぞれ好き勝手に思い出に浸りたい、ホリー・ゴライトリーとはそういう女なのだ。

「あなたは間違っていますよ。あの女はくわせ者(phony)ですぞ。しかし、あなたが正しいともいえますな。あれはくわせ者じゃないです。というのは、あの娘は本物のくわせ者だからですよ」

上はホリーの取り巻きの1人、O.J.のセリフだが、ちょっと面白いのはかのライ麦畑のホールデン少年の口癖が、やはりインチキ(phony)だったことである。ホールデンがphony だと罵り、懸命に否定しようとした側の人間であるO.J.が、ホリーを「本物の」phony だと言うとき、そこにはphony な世界に組み込まれてしまったかつてのホールデンがちらりと顔を見せている。

小説の解説では「プレイガール・ホリー」という人物像についてばかりぐだぐだと書いてあるけれど、そんな読み方ははっきりいってまったく面白くない。大切なのは何故ホリーが無軌道な生活を選ぶか、ではなく、何故そんなホリーに主人公が惹かれるか、ではないのか。本物の贋もの、壊れもの、傷もの、そういうものの方が、ただの本物よりもずっと魅力的にみえることがある。そういうものにばかり惹かれてしまう人がいる。大抵は男だ。カポーティ自身が、きっとそうだった。

さて、「Book to Film」ということで、映画「ティファニーで朝食を」の方にも触れなければならないのだけれど、正直に言って映画に関してはあまり書くべきことがない。たしかにカポーティの小説とは別物かもしれないが、「オードリーの映画」としてカンペキで、その愛らしさにただただ降参するばかりなのである。天才の感性も、真に美しい女性の前では無力か、なんて。

これで終わるのも寂しいので、1つだけ蛇足を。ホリーのアパートの最上階に住む日本人写真家ユニオシさん、映画ではミッキー・ルーニーがかなり偏った日本人のイメージで演じていてこれがなかなか面白いのだけれど、ユニオシなんて苗字、聞いた事も無い。それで思いつくのは村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」に登場したユミヨシさんなのだけれど、ユニオシさんを想像しながらユミヨシさんのくだりを読むのは、これはいささか興ざめだと思うのだが、いかが。

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by k_g_zamuza | 2007-01-23 14:29 | Book to Film

Book to Film (2) 「ジョゼと虎と魚たち」

田辺聖子の短編集「ジョゼと虎と魚たち」の表題作は、分量にしてわずか数十ページ、10分もあれば読み終わってしまう。が、その数十ページがやたらに濃い。濃密な死の匂い、欲の匂い、そしてなにより女の匂いが充満して、オトコの僕ではむせ返って少し呼吸が苦しい。これより長いと読めなくなってしまいそうだが、そのぎりぎりのところで心に触れてくる。

こういう小説は、この世のすべてに絶望した人が、せめて最期に綺麗な夢を見ることを望んだ、その夢のようなものとして成立しているのだと思う。つまり、原則としてどうしようもなくデッドなファンタジィなのだ。少なくとも、僕はそう読んだ。

そんなわけだから、映画が始まってしばらくは頭が混乱していた。何が違うのか良くわからないまま、なんだかだんだん腹まで立ってきた。ようやく気がついたのは、物語も終盤に差し掛かかったあたり、ジョゼの「息子」がジョゼに車を貸しに来るくだりまで観てからのことだった。

「ああ、つまりこの映画は生きてゆく物語、リアルでライヴな物語なのだ」

それでようやくカチリとはまって、それ以降はすいすいとのっていけた。

恒夫があまりにも平凡な大学生であることが不思議だった。馬鹿をやれる友人達がいて、いい仲の女友達がいて、気になる女の子がいる。ジョゼのファンタジィに付き合うには明らかに役不足で、そもそもソレに付き合う必要が恒夫には無い。映画のストーリーは恒夫に現実の傷と痛みを与えたが(当然のことだ)、それと同時にジョゼにもリアルな世界で生きてゆくことを強いて、最後のシーン、電動車椅子に乗り颯爽とゆくジョゼは力強く美しいかもしれないが、そこには小説にあったファンタジィが入り込む余地は無かった。下半身不随の25歳の女性、フランソワーズ・サガンに影響されて「ジョゼ」を名乗るクミ子と、その「管理人」を自認する23歳の恒夫のおとぎ話は、そもそもはじめからほとんど無視されているのだ。

犬童監督がどういう思いであの原作からこの映画を撮ったのか、僕はちょっと量りかねている。初めからこう読んだのかもしれないし、意図的にこう作ったのかもしれないし、撮ってゆく最中でこう動いていったのかもしれない。実は映画を観た後、ひょっとしたら僕の方がミスリードをしていたんじゃないかと少し不安になって、原作を何度か読みかえしてもみた。(あるいは大阪弁のニュアンスをとり損なっているかもしれない)でも、やはり原作と映画、両者のベクトルは完全に真逆を向いていると僕は思う。そのどちらが良い、悪いではない。僕の想像とまるで違ってはいたけれど、すごく良い映画だった。俳優陣の演技も良く、映画を観た人の多くは、きっとどこかに共感したり何かを思い出したりして心を動かされるだろう。僕も恒夫が号泣する場面には感心したし、素直に感動もした。(出来ることならべしょべしょと一緒に泣いてもみたかった)

ただ、いつまでもファンタジィに遊んでいたいコドモな僕らにとっては、こういう映画を観ると少し淋しく思うのも(映画のストーリーが、では無い)本当のことなのだ。エンドロールでくるりが「ハイウェイ」を歌って、僕もちょっとだけ、どこかへ出かけてしまいたい気分だった。”僕が旅に出る理由は、だいたい百個くらいあって、、、”

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by k_g_zamuza | 2007-01-09 18:58 | Book to Film

Book to Film (1) 「スタンド・バイ・ミー」

2007年の新カテゴリは「Book to Film」。内容はタイトルどおり、原作小説とその映画化作品の両方をとりあげて、ダラダラと感想を書いてみようかなと思っています。映画をこき下ろして原作を持ち上げるだけの内容にはならないように、細心の注意を払いつつ。

ともあれ、最初の1作目は「スタンド・バイ・ミー」です。

***

長い間スティーブン・キングを無視し続けてきた。そもそもホラー小説があまり好きではなかった。高校生の頃、友人が読んでいたディーン・クーンツを借りたときも(たしか「インテンシティ」だったと思う)まったく響かなくて、モダンホラーとはこんなにつまらないものかと思った。

その後、ちょっとした内輪のパーティの余興で、キング原作の「ペット・セメタリー」を観る機会があった。いかにもB級ホラー、というチープな雰囲気が可笑しくてくすくす笑いながら観た。(ただし1人だけ怖がって泣いた女の子がいた)同じ頃にたまたまNHKで放映された「ランゴリアーズ」のお粗末なCGも良くなかった。読む前から僕の中でスティーブン・キング=安っぽい娯楽映画の原作者、というイメージが定着してしまったのだ。(もっとも「ランゴリアーズ」のストーリー自体はかなり面白かったけれど)

名作「グリーンマイル」はたしか映画館で観た。これは文句無く面白かった。映画館を出た後、すぐに家に帰るのがもったいなくて、ガールフレンドと2人、行くあても無く夜の街を歩いたような記憶がある。が、結局オカルト・ギミックかよ、という気分はまだあった。薄っぺらい6冊組の文庫本というのも気に入らなくて、読んでみようとは思わなかった。

そんな紆余曲折を経て、ようやく「スタンド・バイ・ミー」に辿りついたのだ。20数年間、これほど有名な作品に触れる機会が一度も無かったというのも考えてみれば珍しいことかもしれないけれど、ともかく先に小説を読んで、たまげた。キングとはこんな作家だったかと思った。一部の隙も無いピカピカの青春小説だ。カンペキだ。

つい先日映画の方を観て、またやられた。こちらもカンペキだ。当然原作とは細部が少しずつ異なっているのだけれど、その変え方1つ1つが実にスマートでいちいち納得させられる。そうだ、拳銃はゴーディが撃てば良い。エースの仕返しのエピソードなんか不要だ。クリスが弁護士になれたのも良かった。映画はこれで良い、いや、こうあるべきだ。小説と映画、それぞれがそれぞれのベストの方法で同じテーマを描ききり、結果的に原作と映画の両方が共に非の付け所の無い傑作に仕上がっている。こういう奇跡的なペアを、僕はこれから幾つ見つけられるだろうか?この新カテゴリを立てたのは、そんな興味もあってのことだった。

でも、もういいだろう。そんなことは本当はどうでも良くて、僕が今書きたいことは、こうだ。

つまりそう、僕にだってあったのだ。テントをかついで仲間とキャンプに行ったこと。友達が自転車で車の側面に突っ込んで、助手席側のドアがぐちゃぐちゃに潰れて、運転手が真っ白な顔で飛び出してきた。友達と自転車がほとんど無傷だったのが今思えば信じられない。ローティーンの少年はそれほど無敵なのだ。真夜中に何故か目が覚めてみんなで星を見たこと。少し歩けば国道にぶつかるような場所だったけれど、それでもびっくりするくらい星が沢山見えて、流れ星がスーッと流れて、ワルぶったあいつもすげえ、すげえと声を弾ませていた。竿を並べて川釣りをしたこと。見知らぬ婆さんがやってきて言った、ここの淵は深さが3メートルもあって、いったん沈んだら二度と浮かび上がれないよ、ちょっと前にも中学生が死んだんだよ、、、

そういう思い出が、ひょっとしたら人生で一番大切なものなんじゃないのかと、このところ頻繁に思う。「スタンド・バイ・ミー」を読み、映画を観た、それだけが原因ではないけれど、ここ最近の僕はそんな気分を少しもてあまし気味に過ごしている。だからダーリン、スタンド・バイ・ミー。

夜が来て あたりは真っ暗
僕らを照らすのは 月の明かりだけ
でも怖くなんかない 怖くないさ
君が僕の側にいるかぎりはね

そう だから僕の側にいてくれないか
僕の側にいてくれ

見上げた空が もし崩れ落ちても
あの山が もしも海に沈んだとしても
僕は泣かない 涙なんかこぼさない
君が僕の側にいるあいだはね

ねぇ だから僕の側にいてくれないか
僕の側にいてくれ


***

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by k_g_zamuza | 2007-01-06 19:02 | Book to Film