私の愛したSF(26) 「五分後の世界」

中田英寿と他の代表選手達との温度差について、事あるごとに煽り立てるマスコミの報道姿勢はどうかとも思うけれど、それがずいぶん昔から言われ続けているということは、やはり「ヒデはちょっと違う」というのは事実なのだろう。

(結局、中田ヒデやイチローは頭が良すぎるのだと思う。パス1本、スイング1振りにすら意味を求め、思想を込めるような彼らのあり方は、そうではないタイプの人たちから見ればほとんど理解不能かもしれない。そして、残念ながら前者が後者より必ず優れているとは言えないのだ。どんなに優れた思想も強力無比な一撃の前では無力になる、それがスポーツなのだから)

ともあれ、「孤高の中田」というキャッチフレーズを目にするたびに僕はいつも思い出す本があって、それが今日の1冊、村上龍「五分後の世界」である。

”現代から時空が5分ずれたもうひとつの日本。そこは太平洋戦争で降伏しなかった日本、国土を失い、地下へと潜み、人口わずか二十六万の戦闘的小国家として生まれ変わった日本=アンダーグラウンドであった。アメリカを中心とした連合国相手に激烈なゲリラ戦を続けるUG兵士達の目的はただ一つ、生存し続けること。そして、敵にもわかるやりかたで、世界中が理解できる方法と言語と表現で、日本国の勇気とプライドを示し続けること…”

中田ヒデと村上龍の間にはかなりの親交があるらしいけれど、僕は中田語録を読み漁っているわけでも村上龍の熱心な読者でもないので実際どういった付き合いなのかは分からない。中田が「五分後の世界」を読んだのか、(たぶん読んでいるだろう)読んでどう感じたのかも知らない。ただ、村上龍がこの本に込めたメッセージと中田ヒデのサッカー哲学のベクトルはぴたりと一致しているようにみえる。フィジカルを徹底的に鍛え、セリエではイタリア語を、プレミアリーグでば英語を当たり前のように話し、不正確な日本人記者の質問には顔をしかめ、ブラジル戦の前には守らなければならないものは唯一”誇り”だと言いきった中田ヒデは、まるでUG兵士そのものだ。

サッカーの話ばかりで恐縮だけれども、本当に強い代表チームの選手は必ずプライドをかけてプレーする。ブラジルの、イングランドの、イタリアの、アルゼンチンの、ドイツの、各々のサッカーの歴史と伝統の重みを、たぶん彼らは理屈ではなく幼いころから肌で感じて知っているのだろう。

翻って今回のW杯、日本代表のうちいったいどれだけの選手が「日本サッカーの誇り」を意識してプレーしたのだろうか。ブラジル戦後の会見でジーコが言った、「この歴史の少なさの中で本当にW杯に行くんだという気持ち、非常に軽い気持ちで来てしまった選手もいるかもしれない」という言葉は極めて正直なセリフだろうと僕は思った。ブラジル人のジーコには、セレソンが本当に特別なものだ、ということを十分に理解しない選手が居ることは信じられないことだったに違いない。

全員が中田のようにはなれないかもしれない。それでも、ともすれば最も個人主義的とさえ見られる男こそが、ひょっとしたら誰よりも日本の誇りを意識し、そのために戦っているのかもしれないということにもっと多くの人が気づいてくれれば良いのにな、と僕はときどき思う。

ところで村上龍だけれど、僕は正直あまり好きな作家ではない。書くもののレベルにばらつきがありすぎるし、欲が出すぎた顔をしているのも気に入らない。ときどきあまりに陳腐で俗っぽいことを書いたり話したりしているのを見て呆れることもある。それでも、彼の描写力にときどきもの凄い力が宿ることは、これは認めなくてはならないだろう。「五分後の世界」はページ数のほとんどが戦闘描写に費やされる。そして音楽、ダンス、暴動…曖昧さを徹底的に排した正確無比な描写だけが表現しうる小説世界を、一度体験してみてください。続編「ヒュウガ・ウイルス」も僕は好きです。

「五分後の世界」 村上龍(日) 1994
”生きのびることだけを考える、それがゲリラの本質だ” ★★★★☆

五分後の世界
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村上 龍
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# by k_g_zamuza | 2006-06-28 12:01 | SF的生活

私の愛したSF(25) 「海からきたチフス」

しばらく前にMoth さんという方からコメントを戴いて、「少年少女21世紀のSF」というジュブナイルSFシリーズの話になったのだけれど、その中の1つ「ゼロの怪物ヌル」の著者は畑正憲、あのムツゴロウ氏が書いたSFなのである。

「少年少女21世紀のSF]は残念ながら絶版で、Moth さんの勧めで僕も復刊ドットコムに投票してきたけれど、(今見たら94票、もう少しだ!)実は「ゼロの怪物ヌル」は「海からきたチフス」と改題、文庫化されて、現在も入手可能なのでした。ちなみに僕が所有しているのは角川文庫版だけれど、現在書店で買えるのは新風舎文庫のもののようだ。

畑正憲の著作群、僕は昔から好きで、とりわけ「少年記」「青春記」「結婚記」「放浪記」の自伝4部作は最高に良くて、生物が大好きなのに文学も諦められず、気持ちだけが空回りして結局大学院を中退、ずぶずぶと自堕落な生活にはまり込んでゆくくだりなどはとても他人事とは思えないのだけれど(苦笑)、それはさておき「海からきたチフス」である。

”夏休み恒例の家族旅行で大島を訪れた中学3年生の主人公、木谷ケン。大好きな大島の海は、しかしいつもとはどこか違っていた。貝類をはじめとした沿岸の生物達が姿を消し、代わりに突如出現したのはさえない白いかたまり、謎の生命体ヌル。そろいもそろって生物好きの小谷一家がこの謎に取り掛かろうとしたとき、突然島を奇病が襲う!そしてさらにとんでもない事件が…”

いきなりだが、生物系のSFというのは、実は成立させるのがかなり難しいジャンルなのではないかと僕はよく思う。生物ならではのセンス・オブ・ワンダーを上手く伝えられずに、結局良く出来たホラーやサスペンスとしてまとまってしまう作品が少なくないような気がするのだ。(それが何故なのかは良くわからないけれど)

そういう意味で言うと、「海からきたチフス」はムツゴロウ氏初の小説ということもあり、はっきり言って技術的にはかなり未熟な仕上がりだ。無駄が多く、読んでいてギクシャクするところも少なくない。ただし、これでもかとばかりにぶちまけられたセンス・オブ・ワンダーは、間違いなく本物、一級品である。初めて読んだとき(もちろん「ゼロの怪物ヌル」として)当時小学生だった僕はあまりのカンドーとコーフンを誰かに話さずには居られず、しばらくの間は誰彼構わず捕まえては”無細胞生物が…”とか”ATPが…”とか自分でもよくわからないことをベラベラとしゃべりたおしていた記憶がある。(我ながら迷惑な子供だ)

そして今、こうやって自分が生物屋のはしくれになってから再読しても、この本の輝きは一向に失われてはいない。もちろん現在の目から見ればヌルという生物のアイデアはかなり乱暴なものではあるけれど、アイデアが現実的かどうかは良質のSFにとっての必要条件では全く無いし、本文中で述べられたヌルとウイルスとのアナロジーだけではなく、今流行のプリオン病のようなもののことを考えてみると、やはり専門家、核となる発想は非常に鋭かったと言うべきかもしれない。

ともかく、こればかりは読んでもらわないと伝わらない。ムツゴロウ氏をときどきTVに出ては動物を舐め回す変なじいさんだと思っている貴方、暇があれば彼の本をぜひ手に取ってみて欲しい。彼の生物への熱い思いがビンビンと伝わってくるはずだ。ちなみに解説で福島正実氏がその熱さを「執着」という言葉で表現しているけれど、ムツゴロウ氏の興味対象への入れ込みっぷりは(オオーヨシヨシ、オオーカワイイカワイイ!)たしかにいささか常人のレヴェルから逸脱しているような気がする。要するにある種の天才なのだろうというのが、彼に対する僕の正直な評価です。

最後に蛇足を2つ。さっきウィキペディアの架空の生物カテゴリにヌルの項目があることに気がついたのだけれど、これって実はかなりスゴイことではあるまいか。ヌルってそんなにメジャーでしたっけ?

それからATPによる治療について。作中でかなり重要なポイントとなる「ATP無効説」、実は僕はそんな話を聞いた事が無いのだけれど、少なくとも現在はATP製剤も注射剤も存在します。ムツゴロウ氏は生理学出身だから、全くのデタラメを書いたわけでは無いと思うのですが、どうなのでしょう。

「海からきたチフス」 畑正憲(日) 1969
動物王国のSF ★★★★

海からきたチフス
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# by k_g_zamuza | 2006-05-19 19:01 | SF的生活

SF国境線(10) 「利己的な遺伝子」

このエントリは実は今年の1月に書いたものですが、書いてみたのはいいけれどどうにも気に入らなくてずっと非公開にしていたものです。気に入らない一番の理由は、たぶん松岡正剛氏の書評を読んでしまったからで、こんな的確な(本当に1つもポイントをはずさないですね)書評があるならもう僕が何を書いても無駄なような気がして、それは今でもそう思うのだけれど、ま、それでも自分なりに書いたのだからいいか、ということにして、ちょっとだけ修正を入れて公開することにします。(要は「SF的生活」の更新が滞り気味なので、没ネタのリサイクルを試みたわけ)

読んでみてなんやようわからん、と思った人は千夜千冊の方で補完してください。

More
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# by k_g_zamuza | 2006-04-11 14:42 | SF的生活

私の愛したSF(24) 「時計じかけのオレンジ」

キューブリック監督による映画の方がずっと有名なように思うので、例によって映画は未見の僕があれこれ書いてもあるいは片手落ちになってしまうのかも知れないですが、ともあれ今回はアントニイ・バージェス「時計じかけのオレンジ」を。SFというかホラーというかちょっと微妙なところですが、近未来のディストピアを描いた風刺小説としてブラッドベリ等に通じる作風だと思うので、「愛したSF」で扱うことにします。

(ちなみに何故映画をあまり観ないのか、自分でもよく解らないけれどたぶん親のしつけが良かった?せいでTVの画面を眺める習慣がそれほど無いのが原因じゃないかなと。2時間TVの前に座っているのがどうにも面倒な気がしてしまうのです。もちろんいったん観始めればちゃんと最後まで楽しめるのですが、観始めるまでにやる気が無くなるというか…。ただ、今年は名作とよばれる映画を積極的に観てみようかなという気持ちがあるので、映画「時計じかけのオレンジ」もそのうち必ずチェックします)

“全体主義が勝利をおさめたと思われる近未来のイギリス。15歳の不良少年アレックスは、ロシア語まじりの若者ことばを吐き散らし、仲間を引き連れて夜な夜なけんか、強盗、強姦と非道の限りを尽くしていた。あるとき遂に殺人を犯し、また仲間の裏切りもあって刑務所へと放り込まれたアレックス。二年後、施行されたばかりの”ルドビコ法”により、暴力を振るえない身体へと科学的に矯正され、社会へと投げ返された彼を待っていた運命とは…?”

この作品、初っ端からバージェスオリジナルのスラングの嵐で、「モロコにベロセットとかシンセメスクとかドレンクロムなんてベスチを入れて飲んじゃう」とか「すごくスタリーて、きたないメストだが、すごく小さいマルチックのころ、六歳ごろのことかな、ここへ来たおぼえがあるだけだ」とか、(実際にはルビがふってあるんだけど)滅茶苦茶な言葉で溢れているのだけれど、読みにくいかと言われればそうでもなく、むしろ一種独特のリズムというか勢いがあって、ストーリーの面白さと相まって僕は一気に引き込まれて読みました。

ただ、読み終えて凄く面白かった、とは思うのだけれど、じゃあこの物語が風刺小説だというならばそのテーマは何だったのか?と考えるとこれがイマイチ良くわからない。強いて言えば欲望にまかせた人間の行為と、小賢しい知恵を振りかざす人間のそれと、果たしてどちらがより醜悪だろうか?といったことかと思うけれど、バージェスがこの作品中で成し遂げたかったのは、とにかく彼が発明した若者ことばに命を吹き込むこと(=アレックスという少年を描ききること)その1点だけだったような気もする。特に作者の意向に反して削られたという最終章がこちらで読めるのだが、これを読むとそんな印象が一層強まります。

Amazon のカスタマーレビューで、これは「ライ麦畑」のような青春小説じゃないか、と書いている人がいるけれど、確かに少年の口語による一人称という形式が共通なこともあって、「時計じかけのオレンジ」を超暴力的なホールデン少年の物語として読むのは、少なくとも僕には非常にしっくり来ました。ともあれこの作品はほんとハラショーなんで、未読であればぜひ一読をすすめます、兄弟よ。

「時計じかけのオレンジ」 アントニイ・バージェス(英) 1962
“よう、これからどうする?” ★★★★☆

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アントニイ・バージェス 乾 信一郎 Anthony Burgess
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# by k_g_zamuza | 2006-02-08 21:18 | SF的生活

私の愛したSF(23) 「鼠と竜のゲーム」

人並みはずれて数奇な運命を辿り、その合間に正体を隠してSFを書いた博士、といえばティプトリーだが、実は良く似た経歴を持つ人物がもう一人居ることを知った。今回紹介する「鼠と竜のゲーム」の作者、コードウェイナー・スミスである。

コードウェイナー・スミス、本名ポール・ラインバーガー。1913年生。父親がかの孫文の法律顧問であった縁で、孫文その人から「林白楽」という中国名を貰っている。成長期に各国を渡り歩き、日本や中国の文化にも造詣が深い。ジョンズ・ホプキンズ大学教授として政治学を教え、その一方で軍人でもあり、第2次大戦時には中国で情報部員として活動し、その経験を「心理戦争」という専門的な本にまとめた。その他多くの筆名による著作多数。詳細はウィキペディアに丁寧に書いてあったのでそちらでどうぞ。

さて、「鼠と竜のゲーム」は「人類補完機構シリーズ」(どこかで聞いたような名前だが、もちろんこちらが本家)と呼ばれるスミスの一連のSF作品群の最初のものにあたる短編集で、シリーズは以下長編「ノーストリリア」、短編集「シェイヨルという名の星」「第81Q戦争」と続く。各作品はおよそ1万5千年という長大な宇宙史の断片的スケッチとして描かれており、読者はスミスの巨大な宇宙のほんの一部を垣間見ることしか許されないのだが、そのイメージのユニークさは全く尋常ではない。尋常ではないけれど、その世界はスミスの卓越した筆により、たしかに実在するとしか思えない重みを持って読者を圧倒する。いつものように収録された8篇から特に気に入った4篇についてコメントを書きます。

「鼠と竜のゲーム」
これぞまさしくキング・オブ・猫SF。(にゃんだそれは?)読んだ後は猫しか愛せなくなる危険性があるので要注意。しかし決して単なる猫萌えSFに終わらないあたり、天才だなこの人としみじみ思う。

「スズダル中佐の犯罪と栄光」
<猫の国>なんていうアイデアはほとんどおとぎ話のよう、時間歪曲ネタの扱いもいかにもイージーだが、あるいはそれも計算ずくなのかもしれない。”ここには真実はかけらもない”のだから。

「ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち」
サンタクララ薬という不老長寿薬の製造により、銀河系一裕福な惑星オールド・ノース・オーストラリア(ノーストリリア)。その鉄壁の防御機構がママ・ヒットンのかわゆいキットンたち。あまりにも”かわゆすぎて”精神崩壊します。

「アルファ・ラルファ大通り」
ここに描かれた<人類の再発見>のイメージときたらどうだ。「風の谷のナウシカ」だってかなわないんじゃないか。シリーズ最大のヒロインにしてSF界一の萌えキャラ(笑)猫娘ク・メルも登場する、まごうことなき傑作!

椎名誠がダン・シモンズ「ハイペリオン」を評して、ひとりの人間がこんなすごい世界を考えることが出来るということに驚く、というようなことを言っていたと思う。僕は実は「ハイペリオン」は積読状態なのだけれど、全く同じ言葉をコードウェイナー・スミスに捧げたい。ミャオウ!

「鼠と竜のゲーム」 コードウェイナー・スミス(米) 1950-1961 (1975 に短編集編纂)
博士の愛したSF ★★★★

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# by k_g_zamuza | 2006-01-26 13:30 | SF的生活

私の愛したSF(22) 「銀河ヒッチハイク・ガイド」

読みたいのに手に入らないもどかしさ、本好きの方なら誰でも味わったことがあると思う。特にSFはそういう状況がある意味日常茶飯事なジャンルであって、傑作と謳われる本が絶版なんてことはザラである。(シマックの「都市」が絶版なんてありえんよねホント…)まあそのぶん古本屋を巡る楽しみがあるんだけど。

今回紹介する「銀河ヒッチハイク・ガイド」もそんな1冊で、世界中でカルト的人気を誇る作品ながら国内ではずいぶん長いこと絶版だったのが、昨年、映画化にあわせて新訳で出版されて僕もようやく読むことが出来たのでした。よかったよかった。

”ある日突然、あっけなく地球は消滅した。銀河バイパス建設のために取り壊されたのだ。サエないイギリス人、アーサー・デントは、友人フォードがたまたまペテルギウス星系出身の宇宙人だったおかげで助けられ、地球最後の生き残りとなる。右手にタオル、左手に「銀河ヒッチハイク・ガイド」を携え、全宇宙を股にかけたどうしようもなくシュールでおバカなヒッチハイクの旅が始まった…。”

これは元々イギリスBBCのラジオドラマを脚本担当だったダグラス・アダムスがノベライズしたもので、内容はスピードと笑い重視のスラップ・スティックSF。とにかく笑えるのだが、笑いの質が常にシニカル or ブラックなのはさすが(?)イギリス人といったところ。全宇宙を駆け回ってありとあらゆるものをバカにしたあげく、「人生、宇宙、すべての答え」なんて哲学的な問いにも答えてしまうあたり、(ちなみにこの答えはgoogle 電卓でも計算可能。お試しあれ)ヴォネガット「タイタンの妖女」に通じるところも多く(パロディなのかな?)僕は大好きですこういうの。たいしてヒッチハイクしてないじゃん!ってところ以外は最高でした。

この本には続編も幾つかあって、現在は2作目「宇宙の果てのレストラン」まで手に入るのだけれど、こちらは前作に比べるとやや散漫な印象で、僕は途中でちょっと飽きてしまった。ともかく1作目は文句無しに面白いので、最近笑いが足りないな、なんていう方にはモーレツにオススメします。

さて、トリビアの塊のようなこの作品、ウィキペディアで調べると山のような情報が得られるけれど、1つだけ載っていないネタがあったので紹介。主要キャラクタの1人にうつ病のアンドロイド”マーヴィン”というのが登場して、鬱々とした活躍(?)をするのだけれど、このマーヴィンこそRadiohead の「PARANOID ANDROID」のタイトル元だという。というわけでさっそく聴いてみた。うーん、ある意味ピッタリ?

「銀河ヒッチハイク・ガイド」 ダグラス・アダムス(英) 1980
DON'T PANIC ! ★★★★☆ 

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ダグラス・アダムス 安原 和見
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# by k_g_zamuza | 2006-01-12 14:08 | SF的生活

SF国境線(9) 「ホット・ゾーン」

ちょっと前にペルーのアマゾンで奇病が発生したというニュースを見た。どんなに医学が進んでも未知の病気は次から次へと現れる。そういえば薬剤師国家試験の勉強をしていたときも、過去問には載っていない(当たり前だ)SARSから出題される可能性があるから気をつけろ、と注意された記憶があるなぁ。

さて、こういうニュースを聞くと僕は必ず思い出す本があって、それが今日の話題。エボラ出血熱の恐怖を描いて大ベストセラーとなったリチャード・プレストンのノンフィクション「ホット・ゾーン」です。確か中学生くらいのときに読んだのだけれど、ものすごい衝撃を受けてその後しばらくウイルス関係の本を読み漁っていた時期がありました。

この本、とにかく怖い。僕が持っているハードカバー上下の背表紙にはスティーブン・キングとアーサー・C・クラークの献辞が載せられているのだが、両者とも「これまで読んだ中で最も怖かった」と書いているのは、たぶん嘘じゃないと思う。

第一部の冒頭、”森の中に何かがいる”がまず衝撃的である。1980年にマールブルグ・ウイルス(エボラの親戚ようなウイルス)に感染したフランス人の話なのだが、ジャーナリストであるプレストンの極めて冷静な筆が悪意無くヒトを殺すウイルスの姿を見事に描き出しており、初っ端からいきなり怖すぎる。これを読んでしまったら、読者には加速する恐怖に震えながらラストまで一気に読み通すか、あるいは本を閉じて二度と手を触れないかのどちらかしか選択支は無いだろう。作中でエボラ・ウイルスの名付け親カール・ジョンスンにプレストンが質問する場面があって、「ウイルスは美しいと思うか」という問いに、「そう思う」と答えたジョンスンの言葉がすべてを表している。

「コブラの眼を覗き込むとき、恐怖とは別に、何かしら引きこまれるものを感じるというのは、本当じゃないだろうか?電子顕微鏡でエボラを見ていると、華麗な氷の城を見ているような心持ちになるんだな。実に冷ややかで、それでいて純粋なのさ」

そして本書の後、プレストンはエボラよりさらに凄まじい架空のウイルスを扱った小説「コブラの眼」を書くのだが、その話はまた今度。

ところでしばらくぶりに読み返して、エボラについて現在どの程度まで研究が進んでいるのか気になった。PubMed で文献検索してみたところ、最近もNature やScience といった一流誌にエボラに関する論文が掲載されている。 ただ、例えば最も致死率の高いエボラ・ザイールと良く似たエボラ・レストンがヒトに無害なのは何故か?なんていう部分の分子機構はまだまだ解っていないようだ。まあ実験するのも命がけだから仕方無いのかもしれない。普段から自分に注射針を刺しまくりの僕は必ず感染すること請け合いです(汗)

もう一つ。「エンヴィロケム」という消毒液がエボラ・ウイルスにも有効だということで、作中でも頻繁に登場するのだが、これ、どんな物質なのか情報がまるで無い。(色は緑茶みたいな色らしい…)ひょっとして誰かが機密にしていたりするのだろうか?誰か知りませんか?

「ホット・ゾーン」 リチャード・プレストン(米) 1994
”第二の天使が鉢を海の上に傾けると、海は死者の血のようになった” ★★★★★

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# by k_g_zamuza | 2006-01-09 20:24 | SF的生活

私の愛したSF(21) 「終りなき戦い」

今日はもう一冊。本当はもっと理系ネタも書きたくて、ぼんやりと考えていることも幾つかあるのだけれどどうもイマイチまとまらず、ついつい書きやすい本の話になってしまうこの頃。いっそのこと書評専門ブログにしてSF以外の本の話も書くのもいいかなと思うのだが、それもやっぱり寂しい気がして、今ちょっと悩んでます。まあしばらくはどっちつかずな感じにお付き合いください。

ともあれ話題はジョー・ホールドマン「終りなき戦い」です。

”人類は正体不明の異星人”トーラン”との全面戦争に突入した。コプラサー・ジャンプという新宇宙航法により戦場から戦場へと移動するたび、兵士はウラシマ効果によってほとんど歳をとらないが、客観時間では数百年が過ぎ去ってしまう。故郷の文化や社会が移りゆくのを尻目に1000年もの間ひたすら戦い続ける主人公マンデラ。この戦いに終わりはあるのだろうか?”

以前ハインライン「宇宙の戦士」とカード「エンダーのゲーム」との関連を指摘したけれど、ホールドマンの「終りなき戦い」はもっとあからさまに「宇宙の戦士」を意識して書かれた(と思われる)作品である。この2作品の対比については既にさんざん語られつくした感もあるけれど、やはり比べて読む価値があると思うので僕も同じ道を歩かせてもらいます。

両者の関係を一言でいえば、仕掛けが共通で方向が真逆、となる。つまり強化服を着てコミュニケーションの取れない異星人とドンパチという設定は全く同じなのだが、力の哲学を肯定した「宇宙の戦士」に対して、「終りなき戦い」は全篇を通して重苦しい厭戦ムードに満ちている。それはやはりWWⅡをバックグラウンドに持つハインラインと、ヴェトナム戦争で負傷したホールドマンとの戦争観の違いであろうし、さらに「宇宙の戦士」がヒューゴー賞(ネビュラ賞はまだ無かった)、「終りなき戦い」はヒューゴー賞、ネビュラ賞のダブル・クラウンと、どちらも米国民に熱狂的に支持されたことを思えば、その違いがそのまま当時のアメリカの気分を代弁していると考えて良いのだろう。2作品とも単なるフィクションではなく、アメリカという国のある側面を確実に捕らえているわけで、そうやって読むとこれは非常に興味深い。(もちろん単純な宇宙戦争SFとして読んだって一向に構わないし、それで十分に面白いのだけれど)

特に「終りなき戦い」は直接に戦争反対!と訴えるような文章は無いのに戦争の持つドロドロしたイメージがこれでもかという程伝わってきて、ああ、ヴェトナムってきっとこうだったんだろうな、というアピールがもの凄くある。派手さは無いけれど、傑作です。

さて、ここからはどうでも良い話。「終りなき戦い」ではセックスの問題も重要なファクターとして扱われているのだけれど、その中にこんな一文がある。

”五百年たったいまでも、ブラジャーのホックは背中についていた。”

僕は思わず笑ってしまったのだけれど、実は似たような文章が前に紹介した「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」にもあるのです。

”私は目を開けて彼女をそっと抱き寄せ、ブラジャーのホックを外すために手を背中にまわした。ホックはなかった。
「前よ」と彼女は言った。
世界はたしかに進化しているのだ。”


どうやらブラジャーのホックには、男の想像力をかきたてるトクベツな何かがあるらしい。え、僕ですか?僕にとって用があるのは中身だけ…げふんげふん。

「終りなき戦い」 ジョー・ホールドマン(米) 1974
ヒューゴー賞、ネビュラ賞

ラヴ&ピース! ★★★★

終りなき戦い
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# by k_g_zamuza | 2005-12-30 23:28 | SF的生活

SF国境線(8) 「宇宙からきたかんづめ」

ジャック・フィニイのところで予告した通り、今回は佐藤さとるです。作品は最もSF色の濃い「宇宙からきたかんづめ」で決まりでしょう。

佐藤さとると言えばとにかく”コロボックル物語”の作者、というイメージで、僕もそりゃあもう大好きなのだけれど、(ちなみにマイベストは「豆つぶほどの小さないぬ」かな)もちろん佐藤さとるはそれだけじゃあ無い。コロボックル以外にも面白い話が山ほどあって、その中にはSFチックな作品も結構沢山あったりする。「ろばの耳の王様後日物語」とか「おばあさんの飛行機」とか、ひょっとしたら佐藤さとるこそ僕のSF愛好の原点なのかも知れない。

今回紹介する「宇宙からのかんづめ」はその中でもしっかり”SF童話”と銘打たれた作品で、最初に読んだのがいつだったのか、ちょっと思い出せないのだけれど、子供心にもの凄いセンス・オブ・ワンダーを感じたことだけははっきりと覚えている。

物語は、主人公の”ぼく”がスーパーマーケットで偶然手にしたパイナップルのかんづめがなんと宇宙から地球を調査しに来たかんづめ(!)で、そのかんづめから”ぼく”が聞いた不思議な話の数々、という形式をとっている。「有り得ないことを有り得るように書く」という佐藤さとるのテクニックが素晴らしく、子供の頃の僕はこれを読んだ後、ひょっとしたら宇宙から来たヤツが1個くらいあるかもしれないという期待を胸に、スーパーマーケットのかんづめを片端から試してみたことがあります。

全部で6篇の”かんづめから聞いた話”それぞれに簡単なコメントをつけてみると、桃型のタイムマシンがどんぶらこと時を流れる「タイムマシンは川に落ちた」、プラスチックの犬がしゃべりだす「タツオの戸棚」、いわゆるひとつのスモールライト(笑)を発明した泥棒「いなくなったどろぼう」、いたずら好きのカビ形宇宙人「おしゃべりなカビ」、宇宙の”はし”とはどんな場所か?「とんがり帽子の高い塔」、そしてかんづめとのサヨナラ「消えてしまった」と、こんな感じ。個人的にはとにかく「とんがり帽子の高い塔」が衝撃的で、これは今読んでもうならされます。

ところで、ファンタジーと科学、というとまるっきり相反するもののように思われるかもしれないけれど、少なくともこういうロー・ファンタジーの魅力はサイエンス(というか生物学)の魅力と本質的には変わらないんじゃないだろうかと思いついた。つまり、どちらも日常の中にサムシング・グレートを求める行為というわけで、少なくとも僕はそういうつもりで今の分野に居るのです。

「宇宙からきたかんづめ」 佐藤さとる(日) 1967(?)
センス・オブ・ワンダーのかんづめ ★★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-12-30 16:00 | SF的生活

私の愛したSF(20) 「ゲイルズバーグの春を愛す」

札幌は朝からひどい雪です。北海道の冬はまだまだこれからが本番なのですが、僕としては正直もうおなか一杯の感があったりします。(北国出身ながら寒さに弱いザムザなのでした)あーあ、雪なんかスキー場だけで降ってりゃ良いのに。

さて、そんなわけで”私の愛したSF”20冊目には、ストーブの前やこたつの中で春を待ちながら読むのにぴったりなジャック・フィニイの短編集「ゲイルズバーグの春を愛す」を。

この短編集はハヤカワ文庫FT(ファンタジー)に収められているけれど、たぶんSFとして紹介しても苦情はこないと思う。フィニイはSF、ファンタジー、ミステリと幅広いジャンルの作品を残しているのだが、この本のあとがきで訳者の福島正実(SFマガジン初代編集長サマです)は”フィニイにとってこうした分類はあまり意味がないかもしれません”と書いている。

内容は、甘いブラッドベリ、という形容がぴったりくるような郷愁漂う短編10篇。例えるならばクラシックなチョコレートの詰め合わせで、焦がしキャラメルの香ばしさ、ビターチョコのほろ苦い味わい、ウイスキーボンボンのようなちょっとした刺激もあって、どれから食べるかはお好み次第、といったところ。これはかなり楽しいですよ。以下、気に入ったものにちょっとしたコメントを。

「ゲイルズバーグの春を愛す」
表題作は、古き良き街並みを破壊する近代化の波に反発する不思議な力の話。こういう付喪神的な発想、アメリカにもあるんですね。

「悪の魔力」
男の妄想力ぶっちぎりの作品(笑)服が透けて見える眼鏡!嵌めた相手を奴隷にする腕輪!大丈夫かジャック・フィニイ?

「おい、こっちをむけ!」
なんとしても有名になりたかった作家の幽霊登場。これを書いたフィニイ自身も作家なわけで、一体どんな気持ちで書いたのか思わず訊きたくなってしまう。

「独房ファンタジア」
死刑執行を1週間後に控えた囚人が独房の壁に絵を描く。これはすごく綺麗な話。一歩間違えれば簡単にくだらない作品になってしまいそうなネタだけに、やるなフィニイ、と思った。

「コイン・コレクション」
パラレル・ワールドもの。仕掛けがなかなか気が利いているが、やっていることはまたしても男の妄想全開のような…(苦笑)でも面白いです。

「愛の手紙」
1882年と1962年がほんの一瞬だけ繋がって生まれた愛。問答無用のラヴ・ストーリー。

ところでジャック・フィニイのこの感じ、どこかで読んだような気がしていたのだが、佐藤さとるの童話がかなり似ていると思う。どちらもいわゆるロー・ファンタジーというジャンルなのだが、中でも特にベクトルが近いような気がします。せっかくなので次回は佐藤さとるにしましょうか。

「ゲイルズバーグの春を愛す」 ジャック・フィニイ(米) 1960
ジャック・ザ・ファンタスティック・ノスタルジック・フィニイ ★★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-12-28 18:00 | SF的生活