SF国境線(7) 「博士の愛した数式」

いや、全然SFではないのですが、珍しくタイムリーな本の話が出来るチャンスなので…。強いて言えば”80分しか記憶が持たない”という設定とか、随所にちりばめられた数学ネタあたりから微妙にSFのかほりがしないことも無いかと…まあ大目に見てやって下さい(笑)

というわけで、来月の映画公開を首を長くして待たれている方も多いかと思われる、第一回本屋大賞受賞作、小川洋子「博士の愛した数式」です。

こういう本はあまり自分で買って読んだりはしない(少なくともブームの真っ只中に買うことはまず無い)のだけれど、昨日久しぶりに会った父親がたまたま持っていたので借りて読んだ。1時間くらいで一気に読んだということは、相当に面白かったということだ。

(ちなみに僕の父は高校で数学を教えるヒトだったのでした。なぜか息子は数学センス皆無なのだが…おかしいなぁ)

17年前の交通事故のせいで80分しか記憶が持続しなくなってしまった老数学者「博士」と、シングルマザーの家政婦「私」、そしてその息子である10歳の少年「ルート」(頭の形が√に似てるんだってさ)の心の交流を描いたこの作品は、いわゆる”いい話”なのだけれど仕立てがすごく洒落ていて、読者を一気に引き込んでくれる。

記憶障害と数論、そして阪神タイガース(!)の間を軽やかに飛び回って紡いでみせた小川洋子の数式はとても美しいのだけれど、巧みすぎてなんだかどこかでズルをされたような気がしないこともない。(数式というよりは手品かな)いや、でもこれはこれで良いのでしょう。どんなに数学が苦手な人が読んでも数学って面白そうだな、ときっと思えるはずで、それだけでも読む価値は大いにあると思います。

ところで記憶を持てない「博士」が他人と交流するために独自に編み出した方法として、相手の靴のサイズや電話番号を尋ね、その数字にたちどころに意味を与えてしまう、という面白い描写があって、たとえば「私」の電話番号に対しては

「5761455だって?素晴らしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」

とこうなのだが、(本当かね?)これはインドの天才数学者ラマヌジャンの有名な逸話を意識しているのかなと思った。友人が乗った車のナンバープレートが「1729」だった、という話を聴いて「それは2通りの立方数の和で書ける最小の数だ(1729=1^3+12^3=9^3+10^3)」と即座に指摘したというラマヌジャン。こういう特殊な能力を持つ人と一度話をしてみたいものです。

最後におまけとして、数学の魅力にとっても手軽に触れられる最高の本を紹介します。森毅の軽快な文章に安野光雅が美しいイラストをつけた「すうがく博物誌」、これは面白いですよ。

「博士の愛した数式」 小川洋子(日) 2003
阪神ファンにはオトクです ★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-12-20 00:59 | SF的生活

SF国境線(6) 「銀河鉄道の夜」

「SF国境線」連投です。

僕にとってジョバンニとカムパネルラは猫なのである。小さいときに偶然TVで観たアニメ映画の印象があまりにも強烈だったせいで、それ以降もさまざまな挿絵に飾られた「銀河鉄道の夜」を読んできたけれど、猫のイメージを消し去る程の力を持ったものにはまだお目にかかれていない。藤城清治の影絵も素晴らしいとは思うけれど、僕はやはり猫だ。

その猫を描いた漫画家、ますむらひろしの存在を知ったのは、しかしずいぶん後になってからのことであった。余談だが、少し前に友人が「アタゴオル」を借してくれて、それを読んだ僕はずいぶんと悔しい気持ちになったものだ。小学生くらいのときに出会えていれば、僕もアタゴオルの住人になってテンプラやパンツやツキミ姫と楽しく遊んで暮らせたのに…。

ともかく、今回は先日ようやく手に入れたますむらひろしの漫画「銀河鉄道の夜」の紹介です。

あまり詳しくない人に言うとときどき驚かれるのだが、「銀河鉄道の夜」はあくまで未完の作品である。それが、やはり手帳に書き付けただけのメモ書きに近い「雨ニモマケズ」と並んで宮沢賢治の代表作として知られているというのはなんだか不思議な気がするけれど、「雨ニモマケズ」はともかく「銀河鉄道の夜」には確かに特別なマジックがあるかもしれない。

「銀河鉄道の夜」の原稿の変遷についてはこちらのホームページが非常にわかりやすくて素晴らしいのでぜひ一度見ていただきたいのだが、ますむらひろしはこのうち最終形(第四次稿)のほかに初期形(第三次稿、ブルカニロ博士篇)も劇画化している。初期形の方が後に描かれたため、最終形に比べて絵の表現力が格段に上がっていて漫画としては初期形の方が面白く、(僕の心は初期形のオープニング、ジョバンニが夜道を独り走るシーンに持っていかれました)また作品に込められた賢治の思いを知るのにも初期形は非常に有益なので、2パターン収めてあるのは嬉しいかぎりだ。

漫画とはいっても賢治のテクストがほぼそのまま使用されているため、絵の多い童話というくらいの気持ちで読んだほうが良いかと思う。先のホームページのテクストとあわせて読むとさらに色々わかってGood です。

それからあとがきに書かれた作者の考察もすごく興味深い。”宮沢賢治猫嫌い説”(根拠はこちらの作品メモだそうな)というのは僕は全然知らなかった。猫は狐や鼠と並んで賢治作品ではおなじみの動物なのに…この辺に関して作者は「イーハトーブ乱入記」でさらに詳しく述べているようです。

この機会にぜひアニメをもう一度観たいと思って、昨日DVDをレンタルしてきた。なにしろ10年以上前に1度観ただけなもので、ジョバンニとカムパネルラの2人の顔以外は完全に忘れており、まっさらな気持ちで楽しめたのだが、(スミレ博士だ!とかテンプラ登場!とか予想外の楽しみもありました)クライマックスのジョバンニとカムパネルラの別れのシーンを観たとき、突然ああ、間違いなくこれを観て泣いたことがある、と確信してなんだか胸がいっぱいになってしまった。時間がゆっくりと流れる、宝石のような映画でした。

ところで何回読んでも気になるのは、あのあとジョバンニは幸せになれるのだろうか?ということなのだが、その答えはきっと宮沢賢治自身にもわからなかったのだと僕は思う。だからこそ彼は生涯を通じてこの作品を何度も書き直し、答えを求め続けたのだろう。修羅を歩いた自分は、幸せだったのか?と。

「銀河鉄道の夜」 ますむらひろし(日) 1983
猫の目がいざなう銀河鉄道の旅 ★★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-12-15 14:22 | SF的生活

SF国境線(3) 「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」

(SF国境線(5)と書いていましたが、(3)の間違いでした。以降のエントリの番号もあわせて訂正します。 2007/04/26)

ファンの間でもどれか一作挙げるならコレ、という人は多いんじゃないだろうか。NYタイムズが選ぶ今年の10冊に「海辺のカフカ」が選ばれたこともあり、(ソースはここ)いまや世界的な作家となった村上春樹の初期の傑作、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を取り上げたい。

村上春樹はもともとカート・ヴォネガットの影響を色濃く持つ作家で、処女作「風の歌を聴け」はほぼヴォネガット・スタイルと言って良いように思う。SF界の女王ル・グィンの作品「空とび猫シリーズ」の翻訳も手がけているし、SFのフィールドからは決して遠くない作家だと僕は勝手に思っている。

(ちなみに村上春樹とよく似た方法論で小説を書き、ムラカミ自身も愛してやまないジョン・アーヴィング(「ガープの世界」は必読ですぞ)はアイオワ大学で直接カート・ヴォネガットから創作を学んだという。ヴォネガットは偉大だ…ハイホー!)

さて、そんな彼の作品の中でも「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は最もSF的色彩の強い長編である。物語は独立した2つのパート、すなわち偶数章「世界の終り」と奇数章「ハードボイルド・ワンダーランド」が並列して進行するスタイルをとる。ル・グィン的ファンタジー「世界の終り」とヴォネガット的SF「ハードボイルド・ワンダーランド」と言うのは今思いついたこじつけだが、それほど間違った認識でもなさそうに思える。

影を失い、高い壁に囲まれた街で一角獣の頭骨から夢を読んで暮らす「世界の終り」の”僕”の世界と、知らずに脳に埋め込まれた思考回路のせいでタフなトラブルに巻き込まれていく「ハードボイルド・ワンダーランド」の”私”の世界、始めは完全に独立しているかに思えた2つの世界が、読み進むうちにぴたりと(右脳と左脳のギザギザのように)噛み合うことに気づいたとき、きっとぞくぞくするほどの感動を覚えるはずなので、最初は必ず順番通り交互に読みたいものだ。

(もっとも再読するときはついつい「世界の終わり」だけ、「ハードボイルド・ワンダーランド」だけという読み方をしてしまう。さらに言うとどうしても「ハードボイルド…」の方を多く読んでしまう。そういう人、実は結構多いでしょ?)

綿密に作り込まれた細部をねちねちと眺めまわすのも決して悪くはないけれど、(僕も大好きです)まずは現代随一のストーリー・テラーに導かれるまま、ちょっぴり怖ろしくてちょっぴり哀しい、そしてとびきり面白い物語に身をゆだねてみて欲しい。読書の喜びここにあり、ときっと思うはずです。

以下余談になるけれど、村上春樹のこれまでの長編小説ではこの「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と「海辺のカフカ」が群を抜いて完成度が高いと思う。村上春樹の小説は作家としてのエゴを優先させた結果、読者にはあまり優しくない構造を持つに至ったものも多いと思うのだけれど、(それが悪いというわけでは無く、むしろ熱狂的ファンを生む理由のひとつになっていると思う)上記2作品は小説としての完成度に十分にケアして書かれており、それが完璧に成功した作品ではないかなと僕は感じています。

思い入れがあるのは「ノルウェイの森」、それからファン心理としては「羊4部作」への愛着も大きいけれど、先の2つはとにかく作家・村上春樹のそれぞれひとつの到達点と呼べるのではないだろうか。ハルキ・ワールドをまだ知らない人は、この2作のどちらかから入ることを僕はお薦めします。

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」 村上春樹(日) 1985
”みんな昔に一度起こったことなのよ。そうでしょ?” ★★★★★

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個人的な…
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# by k_g_zamuza | 2005-12-14 13:50 | SF的生活

私の愛したSF(19) 「上弦の月を喰べる獅子」

宮沢賢治自身が主人公として登場するSFがあると聞いた。夢枕獏「上弦の月を喰べる獅子」である。

夢枕獏という作家について僕はほとんど何も知らない。僕のあまり興味の持てない種類の娯楽小説(本人曰く”伝奇バイオレンス”)を書く流行作家、という漠然とした印象だけがあったのだが、それが宮沢賢治で日本SF大賞受賞だというので俄然興味を持ち、手に取った。以下あらすじ。

”共に心に修羅を抱く螺旋蒐集家と岩手の詩人が、それぞれ死期を前に見た幻の螺旋にひき込まれ、双人アシュヴィンとなって蘇迷楼(スメール)と呼ばれる異世界に降り立った。多くの”問”に答えるため、彼=彼らは果てしなく高い蘇迷楼の頂きを目指して旅を始める。自分は何者か?野に咲く花は幸せか?そして、人は、幸福せになれるのだろうか…?”

作者は言う。これは、天についての物語であり、進化についての物語であり、宇宙についての物語であると。数式ではなく、言葉によって宇宙を語りたかったのだと。

仏教の言葉を使って宇宙のDNAを構築しようとした彼の途方も無い試みは、ある程度まで成功したと僕は思う。ただし、彼の2重螺旋は完璧では無い。いびつである。もちろん宇宙を完全に捉えられるのであれば彼はもはや作家ではなく神であろうから、そういう意味でこれは完全なモデルでは無いけれど最良のものの1つであると言えるし、とにかく僕は感動したのだ。

ではどこがいびつなのか。僕が気になったのはたとえば生物進化の扱いの甘さ、(生物屋ですから)それからやや無理を感じる宮沢賢治像で、(ファンですから)読んでいてときどき力技でごまかしたな、と思う箇所がいくつかある。たぶん仏教知識に関しても詳しい人が読めば多くのアラやゴマカシが見つかるのだろうが、幸いにして(?)その辺はさっぱりである僕には気にならず、むしろときどき小説に反応して昔どこかで聞きかじった”梵我一如”とか初転法輪”とかいう仏教用語が、頭のなかでちかちか明滅するのが面白かった。

文句を言ってはみたけれど、それだけこのアイデアに魅力と可能性を感じたのだと思って欲しい。細部を詰めればひょっとすると凄いところに到達してしまうかも…と思って興奮を覚えたのだが、この形に落ち着いたのは、あるいはあくまでエンターテイメント作家であろうと欲した夢枕獏の判断だったのかもしれない。難解なテーマを扱いながらもするすると物語に引き込む筆力はさすがであった。実際相当に面白く読めます、この本。

マニアックではあるが、まさに力作。読む価値は大いにありです。

「上弦の月を喰べる獅子」 夢枕獏(日) 1989
星雲賞、日本SF大賞

アートマンはブラフマンである! ★★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-12-01 16:35 | SF的生活

私の愛したSF(18) 「十五少年漂流記」

「蝿の王」を紹介したからにはこちらに触れないわけにはいかないだろう。全世界の少年少女のバイブル、ジュール・ヴェルヌ「十五少年漂流記」である。SFの父ヴェルヌに敬意を表し、こちらはやはり「愛したSF」で扱いたい。

ヴェルヌ!ヴェルヌ!ヴェルヌ!ヴェルヌがなければ現在の僕も無いときっぱりと言い切れる。もちろんそう呼べる作家はヴェルヌだけでは無いけれど、少なくとも今僕がおぼつかない足取りながらも科学の道を歩いているのは、ヴェルヌとファーブルが居たからこそだと思っている。同じように感じている人は僕の前にも無数にいただろうし、これからも増え続けることだろう、子供達が本を読み続けるかぎりは。(それともポケモンやムシキングから科学に興味を持つようになったりするのだろうか?)

「十五少年漂流記」は言わずと知れたジュブナイルSF(もっともヴェルヌ自身は特に子供向けを意識して書いたわけでは無いと思う)の傑作である。Amazon で検索したところどうやら26もの異なる日本語版が手に入るようだが、僕が子供の頃に愛読していたのは講談社の少年少女世界文学館全24巻のうちの1冊であった。(ちなみに今手元にあるのは上のリンクの創元SF文庫版)このシリーズの優れたところは、作中に登場する道具や動植物(”羅針盤”とか”リャマ”とか”さとうかえで”とか)のイラスト付き解説が豊富に載せられている点、それから子供には難しいと思われる言葉に赤字のルビで説明書きが入っている点で、要するに名作文学に図鑑と国語辞典がセットになっているのだ。「ロビン=フッドの冒険」「ロビンソン漂流記」「トム=ソーヤーの冒険」、僕はどれもこのシリーズで読み、がらくたを集めるカラスのように知識をせっせと蓄えた。実に幸せな日々だった。

その膨大な博物知識と卓越した科学予測能力ばかりがクローズ・アップされて語られることが多いヴェルヌだが、ストーリー・テラーとしての彼の能力もまた一級品である。(嘘だと思うなら「アドリア海の復讐」あたりを読めば良い)「十五少年漂流記」においてもその筆力は冴え渡り、ジェットコースターのような2年間が息つく間も無く過ぎてゆく。嵐の船上、未知の島、人の痕跡、協力と対立、ジャックの秘密、そして海賊達…あらゆる探検とあらゆる冒険の魅力の本質がここにはある。

1つ気になることとして、島の大統領を選ぶ場面、黒人のモコには選挙権が無い、という文章に過剰に反応している方がときどき見受けられるが、これは決してヴェルヌが黒人差別を当然のものと考えていたことを表すわけではない。でなければモコがあれほどの大活躍をするわけが無いし、「ミステリアス・アイランド」ではヴェルヌはリンカーンの思想に惜しみない賞賛の声をあげている。むしろほとんど女性が出てこないことを残念がるべきだが、100年以上も昔に書かれた物語に現代の価値観全てを望むのは酷というものだろう。

僕がいまさら必読!なんて叫ぶ必要も無いとは思うけれど、大人が読んだって面白いものは面白い。「蝿の王」と併せて読めば、また色々な味わいを発見できること請け合いです。

「十五少年漂流記」 ジュール・ヴェルヌ(仏) 1888
あの懐かしいフレンチ・デンへ! ★★★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-11-30 14:10 | SF的生活

SF国境線(5) 「蝿の王」

学会前の追い込みに入って他のことに頭が回らなくなっています。こういうときは書評を書くとうまく脳のバランスが取れる感じなので、ひょっとしたらしばらく書評が続くかもしれません。とりあえず今回は「SF国境線」連投になってしまうけれど、ゴールディング「蝿の王」を。

ノーベル賞作家ゴールディングの代表作(というか彼の他の作品を読んだことが無い)である「蝿の王」を初めて読んだとき、うわー、すっげぇな、と思ったことは確かなのだが、じゃあいったい何を”すっげぇ”と思ったのか、考えてみると良くわからない。

ストーリーが難しいわけでは無い。近未来、戦争のさなかに少年達を乗せた飛行機が攻撃を受け、南太平洋の無人島に不時着するところから物語は始まる。少年ばかりで無人島、といえば誰しも思い出すのはヴェルヌ「十五少年漂流記」だが、「蝿の王」はさしずめそのブラックなパロディとでも呼べるかもしれない。リーダーを決め、ルールを決め、少年達は始めは彼らなりに秩序ある生活を構築しようと試みるのだが、しかし物事はヴェルヌの物語のようにそう上手くは運ばない。

理知的なピギーの話はぜんそくもちで近眼でふとっちょという彼の容姿のせいで常に軽んじられる。心の闇と対決する勇気をただひとり持つサイモンは誰にも理解されない。”力”に強い執着をみせ、徐々に強引な行動を取るようになるジャックとその賛同者を、常識的なリーダーたろうとするラーフは次第にコントロール出来なくなってくる。そしていつしか得体のしれない”獣”の気配が島を覆い、楽園は崩壊を始める…。

ゴールディングが配置した巧みな構成について色々と言うのは簡単だ。ラーフやピギーが代表する「理性」と、ジャックらが体現する「本能」の対立だとか、宗教的なものを備えたサイモンがどのような運命を辿ったか、等々、見るべきものは山ほどある。ただ、作者が本当にそういったものをテーマに据えようとしていたのか、と考えると、どうもそういう訳でも無いような気がする。う~ん、と考え込んでいたときに、先に紹介した松岡正剛氏の書評を読んで、ようやく少しわかったような気がした。以下引用。

”『蝿の王』は悪や原罪を描いたというよりも、まさに少年の本来を描いてみせたのである。それは『銀の匙』となんら変わらない一対の鏡像なのである。
けれどもそこには血が流れた。キリストの血ではない。少年の血である。『蝿の王』はその血を感じて読むものである。”


僕はさすがに中勘助の「銀の匙」と「蝿の王」が同じだ、とまで言う勇気は無いけれど(笑)確かにゴールディングはただ少年達をありのままに描くことだけに力を注ぎ、結果的にそこから現れるもの(実際相当におぞましい物語が展開する)にはまるで無関心であるかのようにさえ思える。そんな小説家の執拗かつ冷徹な観察力と描写力に、僕はたぶん”すっげぇ”と驚いたのだ。そしてそれこそが、小説本来の力の源なのだろう。

「蝿の王」 ウィリアム・ゴールディング(英) 1954
”どうして今のようになってしまったのか、それはみんなわたしのせいなんだよ” ★★★★★ 

蝿の王
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# by k_g_zamuza | 2005-11-29 20:44 | SF的生活

SF国境線(4) 「ダーウィン以来」

「SF国境線」の方がなかなか更新出来ていないのには理由があって、こっちで紹介したいと思っていた本が、何故かどれも人に貸したまま帰ってこなくなってしまっているのである。まあそのこと自体はそれほど気にはしていないのだけれど、さすがに手元に本が無い状態で書評を書くのはちょっと…というわけで手がとまっていました。

ただ、僕としては「愛したSF」と「国境線」を4:1くらいの割合で書いていくのが理想かなと思っているので、出来ればそろそろ更新したい。というわけで本棚を漁ってコレならまあ良いか、と思ったのがスティーブン・J・グールドの科学エッセイ集「ダーウィン以来」である。

僕の読書は基本的にフィクション中心で、科学読み物や人文、思想書のたぐいはほとんど読まない。趣味の読書なのに勉強しているような内容の本は読みたくないもんね、という気持ちがあるのだと思う。だからこの「SF国境線」もサイエンスの枠をはみ出したフィクションを紹介する場としてしか考えていなかったのだけれど、まあフィクションでは無いサイエンス本だって同じことだよな、と思うことにして、始めます。

グールドの著作の数々は文庫になっているくらいだからきっと売れているのだろう。確か椎名誠も絶賛していた「ワンダフル・ライフ」は日本でベストセラーになったと書いてあるし、書店でも良くみかけるから知っている人は多いと思う。

ただ、実際のところどれも内容は面白いのだけれどいささか文章が硬く、(翻訳のせいか?)少なくとも僕にはちょっと読みづらかったりもする。そのせいで没頭して読む、という状態までにはなかなか至らず、文庫になったものはひととおり読んだのだけれどあまり頭に残っていないのが悔しい。そんな中でグールド最初のエッセイ集である「ダーウィン以来」は、面白かった!という印象が強くあって好きな作品である。次点は「フラミンゴの微笑」だろうか。

個人的にはグールドからダーウィンへの愛の告白とも呼べそうな第一部も大好きなのだが、生物ネタとしては第三部11章の周期ゼミの話がやはりぶっちぎりで面白い。17年(または13年)という長い周期で羽化するセミがいて、どうしてそんな周期を持つに至ったのか?という話なのだが、どうです、不思議じゃないですか?(ちなみにちょっと前友人にこんな本があることを教えてもらいました。周期ゼミに興味を持った方はこちらを試してみるのも良いかもしれません)(ついでにもう一冊、この本が今すごく欲しい)

ところで読んでいて僕がどうしても気になるのは、グールドがこれほど繰り返し唱えなくてはならないほど、多くの人々にとって今だダーウィニズムというものはそれほど理解しがたいものなのか?ということなのだが、(残念ながら)多分そういうことなのだろう、特にキリスト教圏においては。

進化は進歩とは異なるし、ヒトは進化の頂点にいる生物ですら無い。いい加減そんな驕り高ぶった考えはやめませんか?と、今は亡きグールド先生に代わって、ごくごく小さな声ではあるけれど、僕もこの場でつぶやいてみるのです。

「ダーウィン以来」 スティーブン・J・グールド(米) 1977
ダーウィン,I love you. ★★★☆

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# by k_g_zamuza | 2005-11-27 12:10 | SF的生活

私の愛したSF(17) 「火星年代記」

実はブラッドベリの作品を手にとったのはごく最近なのである。もちろん存在はずいぶん前から知っていた。幻想派の巨匠、SFの抒情詩人などと賞され、SFの枠を超えて評価される作家であることも知っていた。「何かが道をやってくる」とか「ウは宇宙船のウ」とか、一度聞けば忘れられないタイトルも魅力的だった。それなのにずいぶん長い間読もうとしなかったのは、おかしな話かもしれないが、読めば絶対に気に入るという確信があったから、ではないかと思う。言い換えれば”読むまでも無く”好きであった(だからあえて読む必要がなかった)ということだ。

(こんなデンパなことを言っていて大丈夫なのか自分でもちょっとだけ不安だったりする。誰かわかってくれますこの気持ち?)

ともかく読む必要がないというのはもちろん言葉のあやであって、近頃ようやく本格的に(短編を幾つか読んだことはあった)読み始めたブラッドベリなのだが、ほーらやっぱり大好きじゃん、思ったとおり!なんて誰に向かって言っているのかわからないけれど、つまりはそういうことです。ブラッドベリは訳書が充実しているので、これからしばらくは読む本に困らないと思うと嬉しいかぎりのザムザでした。

さて、それでようやく話は作品のほうに移って、ブラッドベリ「火星年代記」である。(これ、ハヤカワSFじゃなくてハヤカワNV(ノベルズ)から出版されているのは何故なのだろう?背表紙の作品紹介にもおもいっきりSFって書いてあるのに)

ブラッドベリの代表作の1つにしてオールタイムベストSFの常連でもあるこの作品では、1999年から2026年までの人類による火星開拓史が26篇の連作短編によって綴られる。(ちなみに2005年11月には地球で核戦争が起こることになってます)どうして宇宙服無しで火星で呼吸が出来るのか?なんてことが気になって仕方が無い人はまさか居無いとは思うが、万が一そんな人がいるならセンスが無いからSFなんか読むのはやめたほうが良い。

各短編ごとのテーマやアイデアは多彩で、それぞれかなり異なった趣きを持つものもあるのだが、逆に言えばどんな読者も必ず自分のお気に入りの1篇を見つけることが出来る、ともいえるし、だからこそこの作品は長い年月に渡ってこれほどの支持を集めているのだろう。思いつくままにコメントしてみれば、

たった1ページのはじまりの詩「ロケットの夏」
ブラックなショートショート「地球の人々」
前半のハイライト、傑作「月は今でも明るいが」
火星版「木を植えた男」、「緑の朝」
静かなる独立「空のあなたの道へ」
すれ違いのコンタクト「夜の邂逅」
「華氏四五一度」へと繋がる「第二のアッシャー邸」
後半のハイライト「火星の人」
これまたブラックでシニカルな「沈黙の町」
寂寥感だけが残る「長の年月」
終りにして始まり「百万年ピクニック」

こんな感じである。ちなみに僕が特に気に入っているものを挙げるなら、哀しいロマンチシズムに溢れた「月は今でも明るいが」、ポーやボウムの引用が嬉しい(オズマ姫!)「第二のアッシャー邸」、それからずいぶん昔にオムニバス短編集で読んで感動した「長の年月」あたりだろうか。いや、どれも本当に良いんだけれど。

昔の僕のようにデンパなことを言って読まないのはただただ損をしているだけなので、未読の方は迷わず手に取って下さい。ロマンチックで傷つきやすいあなたに一押しです。

「火星年代記」 レイ・ブラッドベリ(米) 1946
この世で最も美しく哀しい星 ★★★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-11-25 19:02 | SF的生活

私の愛したSF(16) 「幼年期の終り」

1953年シリーズ第3弾はアーサー・C・クラーク「幼年期の終り」。ちなみに3作品とも何らかの形で超能力を扱っていて、当時ブームだったんだろうなぁと思うとなかなか面白いです。

さて、「2001年宇宙の旅」の原作者としてSF読者以外にも(たぶん)有名なアーサー・C・クラークは、同時代に活躍したアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインと並んで海外SFの”御三家”と称される、まさに基本中の基本のSF作家だが、楽観的な宇宙開発モノ、というイメージが強くて僕は正直それほど惹かれないのでした。

「幼年期の終り」はクラーク最高傑作の呼び声も高く、オールタイムベストSFの上位に必ず顔を出す作品なのだが、やはり僕にはいまいちピンと来なかった。ともあれ内容紹介を。

”時は1970年代、熾烈な開発競争の末、ついに人類の手が宇宙への扉にかかるかと思われたまさにそのとき、巨大な宇宙船群が突如として世界各国の首都上空に姿を現した。それから50年、圧倒的な知能と科学技術を有するエイリアンの管理下におかれた人類はかつて無い程平和で満ち足りた時代を迎えるが、エイリアン達の真の目的は伏せられたままであった。人類は果たしてどんな未来へと向かっているのか…?”

突然現れる円盤型の巨大宇宙船は「インデペンデンス・デイ」そのままのイメージ。(もちろん映画の方がクラークへのオマージュだけれど)親切だが大事なことはなかなか教えてくれないエイリアンに、ときどき反抗心を抱きながらも結局は子供のようにあしらわれてしまう人類を描いた第1部と第2部は、面白くないわけでは無いのだがどうにも中途半端な印象。”エイリアンが圧倒的だから”で何でも説明してしまうのはイージーに過ぎる。第3部は読み応えがあるだけに、前半部のゆるさが一層もったいなく思えてしまった。倍の長さにして前半部の思索を深めるか、さもなければ思い切って短編にした方が良かったんじゃないか、なんて思うのは僕だけですか?

人類の行く末をただひとり生き残った青年が見つめるラストはさすがに秀逸。とはいえ全体的にアイデアの古さは否めない。別の言い方をすれば古典的名作、となるのかな…?

”人間”を描くのが文学で、”人類”を描くのがSFだ、なんて言葉をどこかで読んだ気がするけれど、こういう作品を読むとなんとなくわかる気がする。問題は”人間”をちゃんと描いてないと結局小説としてはあんまり面白くないってことかと。ともかく僕とは相性良くないようです。

「幼年期の終り」 アーサー・C・クラーク(英) 1953
けなしてばかりでスミマセン ★★

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# by k_g_zamuza | 2005-11-19 16:20 | SF的生活

私の愛したSF(15) 「人間以上」

「分解された男」に続いて1953年シリーズ。マイベストを選ぶときには絶対にはずせない、シオドア・スタージョン「人間以上」を。

”異色”とか”奇才”という言葉がこれほど似合う人もそう居無いシオドア・スタージョン、その独特の作風は決して万人受けするものでは無いが、噛み合う読者にとっては唯一無二の存在になりうる妖しい魅力(魔力?)に満ちている。ちなみに同じようなことをカート・ヴォネガットについても書いたけれど、ヴォネガットが生み出した架空のSF作家キルゴア・トラウトは明らかにシオドア・スタージョンのもじりである。(トラウト→鱒、スタージョン→チョウザメ)彼もきっとファンなのだろう。

「人間以上」はスタージョンが作家として最も油の乗っていた時期に書かれた彼の代表的長編であり、第1回ヒューゴー賞こそ逃したものの、翌年の国際幻想文学大賞を受賞している。(ちなみにこのあまりなじみの無い賞、1951年からたった7年しか続かなかったがトールキンの「指輪物語」なども受賞作である)

賞ということでいえば、彼の名を冠したシオドア・スタージョン記念賞というのもあってこちらは1987年より開催、ここで最初に紹介したテッド・チャン「あなたの人生の物語」も受賞している。

さて、肝心の内容だが、一言で言えばホモ・ゲシュタルト(集団人)を題材にしたミュータントSFである。ホモ・ゲシュタルトという概念を最初に考え出したのが誰なのか僕は知らないけれど、少なくともSF界ではスタージョンのこの作品が他に与えた影響は計り知れない。

小学生の頃、子供向けのSFを読み漁っていた中にもホモ・ゲシュタルトを扱った作品があって、もうタイトルも覚えていないのだが、それぞれ超知性(頭)、テレキネシス(手)、テレポーテーション(足)、それらを統合するテレパシー(身体)、といった超能力を持つ少年少女達が全体として1人の超人(=人間以上)を構成する、という設定がすごく面白くて、その後「人間以上」を読んだときに、ああ、コレだ!と感動したことを思い出す。

僕が読んだその作品は子供向けということもあり、単純なスーパーマンの冒険活劇になっていたように記憶しているが、「人間以上」はもちろんそんな簡単な内容では無い。”愛”や”孤独”をテーマとし、奇想幻想を手品のように操って紡ぎ出されるストーリーはスタージョンズ・イリュージョンとでも呼ぶべきもので、その手腕があまりにも見事過ぎるので、一度読んだだけでは普通の読者には自分が今何を見せられたのかがわからない。わからないけれど何か凄いものを見た、ということだけははっきりしていて、結局また最初からページを繰ることになる。そうやって僕も何度となく読んだ。

Amazon のカスタマーレビューで同じことを書いている人がいるけれど、本当に読むたびに新たな発見があって、たぶん僕も一生読むんじゃないかな…と思う作品。特に読書好きを自認する人で未読の方にはぜひ薦めたい。傑作です。

「人間以上」 シオドア・スタージョン(米) 1953
魔法のキャビア ★★★★★

人間以上
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# by k_g_zamuza | 2005-11-18 19:47 | SF的生活