私の愛したSF(14) 「分解された男」

1953年の記念すべき第1回ヒューゴー賞、クラーク「幼年期の終り」、スタージョン「人間以上」といった歴史的名作を押しのけて見事栄冠に輝いたのが、アルフレッド・ベスター「分解された男」である。

(ちなみに上記3作に僕が順位をつけるなら「人間以上」>「分解された男」>「幼年期の終り」となる)

ベスターはちょっと変わった経歴の作家で、もともとSF好きで短編をいくつか書いてはいたもののあまり評価されず、先にコミックやラジオ、TVのシナリオライターとして成功した人だという。(「スーパーマン」とか「チャーリー・チャン」などを手がけた売れっ子だったとか)この経験が彼の作風に決定的な影響を与えたことは疑う余地無く、(べスターの十八番、タイポグラフィーなどは典型例だろう)その独創的なスタイルはのちにブライアン・オールディスから”ワイドスクリーン・バロック”と称されることとなる。「分解された男」はそんな彼の処女長編にして、SF作家としての彼の名を一躍世に広めた出世作である。

”時は24世紀、テレパシー能力を獲得した人類の出現により犯罪の計画すら困難になった時代に、しかし一大産業王国の樹立を狙うベン・ライクはライバル会社のトップ殺害を企て、ついに実行に移す。前代未聞の大犯罪に、刑事部長にして超感覚者のリンカン・パウエルが立ち上がった。捕まれば<分解>の運命、ベン・ライク対超感覚者の攻防戦が始まる…!”

分類としてはいわゆるSFミステリなのだが、まずは設定がすごく面白い。ベン・ライクはエスパー達の監視をかいくぐって殺人を実行しなければならず、リンカン・パウエルはその透視能力で犯人を見抜きながらも訴訟に必要な客観的証拠、方法、機会、動機を提示しなければならない。ベスターはこの設定を用意することで、処女長編にして難しい倒叙形式(犯人が初めから明らか)を完全に乗りこなしている。

だが作品の最大の魅力になっているのは、なんといっても主人公ベン・ライクのかっこよさだろう。もうひとつの代表作「虎よ、虎よ!」の主人公ガリー・フォイルもそうだが、善悪を超越した、純粋かつ強靭な意志を持った人間を描かせたらベスターの右に出るものは居無いのではないか。

悪漢だが魅力溢れる主人公が、絢爛豪華な近未来を右へ左へとめまぐるしく飛び回り、あらゆるものを滅茶苦茶に巻き込んでひたすらに突っ走る物語。これぞワイドスクリーン・バロック、これぞ天才アルフレッド・ベスター。ゴージャス!

「分解された男」 アルフレッド・ベスター(米) 1953
ヒューゴー賞

もっと引っぱる、いわくテンソル♪ ★★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-11-14 13:27 | SF的生活

私の愛したSF(13) 「戦闘妖精・雪風<改>」

今日はカート・ヴォネガットの誕生日(ぱちぱちぱち)ということでヴォネガット作品を紹介しても良かったのだけれど、ちょうど読み終わったばかりの本があるのでそちらを。

先週11月3日は言わずとしれた”文化の日”だが、僕の愛するブックオフ(またかよ)ではこの日を語呂合わせで”文庫の日”と称し、全文庫本を100円で販売するセールを行っていた。来春からは大阪に住むというのにこれ以上本を増やしてどうするんだ、という考えがちらりと頭をよぎったのだが、結局またまた市内を廻って大量に買い込んでしまったうちの1冊が、今回紹介する神林長平「戦闘妖精・雪風<改>」である。

この間書いたように、僕はこれまであまり日本SFを読んで来なかった。子供の頃、父親の蔵書を片端から読んでいた中には小松左京や筒井康隆、半村良らの作品もあったのだが、当時の自分にはどうもしっくりこなかったようで(星新一は大好きだったけど)その後海外作家ものばかりを手に取る時代が長く続いた。海外作品を読んでいる方がカッコイイと思っていたようなところもあったかもしれない。

別にそれで何か問題があったわけでは無いけれど、こうやってSF書評を書くようになって改めてそういえば日本のSF読んでないなぁと思ったのだが、逆に言えばまだまだ僕の知らない凄いSFが沢山あるかも知れないわけでそれはとても喜ばしいことだ。そんなわけで”ザムザの日本SFをもっと読もうキャンペーン”の手始めがコレというわけです。(無駄に長い前置きでスミマセン)

さて、日本SFの中では超有名作品と言える「戦闘妖精・雪風」の発表は1984年(ジョージ・オーウェル!)で、翌年の星雲賞長編部門を受賞している。神林長平は前年の「敵は海賊・海賊版」と続けて2年連続で星雲賞受賞、実力の程が伺えるというものだ。僕が読んだのは2002年に改訂されて<改>が付いた新版だが、作者によれば”ほとんど変わっていない”ということ。以下あらすじ。

”南極大陸に突如出現した超空間通路を通って、正体不明の異性体”ジャム”が地球への侵攻を開始した。人類の反撃により、戦闘の舞台は通路の向こう側にある惑星フェアリィへと移る。主人公深井零はFAF(フェアリィ空軍)の虎の子、電子頭脳を搭載した戦術戦闘電子偵察機スーパーシルフのパイロットである。たとえ味方を見殺しにしてでも情報を持ち帰るという非情な任務に就く彼は、ただ愛機・雪風だけを信頼し、今日も孤独な戦いに挑む…。”

正直に言うと、少しナメていました。”戦闘妖精”というちょっと恥ずかしい(笑)タイトル、戦闘機が大きく描かれた装丁、要するに軍事マニア、メカフェチ向けの戦争SFでしょう?という気持ちで読み始めたのだが、いやいや、これはなかなか凄い。

初っ端からほとんど説明も無しに専門用語が飛びかい、ドッグファイトの描写が延々と続く前半部は予想通りの展開で、もちろん決して嫌いじゃないけれど(僕も男の子ですから)これだけで終わってはつまらないぞ、と思っていたのが、異性体”ジャム”の正体が徐々に明らかになるにつれて物語は全く違った輝きを放ち始める。淡々とした語り口調と連作短編という形式によりあっさりした仕上がりになっているが、(ラストも多くの謎を残したままだ)これはこれで良いのだと思わせる見事な完成度。もとは20年前の作品だが古さも全く無く、人気があるのにも納得。続編「グッドラック 戦闘妖精・雪風」もチェックしてみます。

この作品、2002年にはOVA化されているそうだが、「プラネテス」といい、「攻殻機動隊」といい、SFもアニメーションというメディアにおいてはまだまだ人気の高いジャンルなのかな、と思う。ただし小説ではSFが売れないジャンルの代名詞なのは間違い無いようなので、たとえば「攻殻機動隊」が面白いと思ったらギブスンの「ニューロマンサー」を読んでみるとか、そうやってSF小説の面白さに取り付かれる人が増えてくれば良いのにな、とちょっとだけ思います。余計なことかもしれないけど。(そもそもブックオフで本を買ってちゃ駄目だという話もあるね…)

「戦闘妖精・雪風<改>」 神林長平(日) 1984 (2002改訂)
星雲賞

機械を愛しても愛されない? ★★★☆

戦闘妖精・雪風(改)
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神林 長平
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# by k_g_zamuza | 2005-11-11 20:43 | SF的生活

私の愛したSF(12) 「第四間氷期」

安部公房はすごく好きな作家の一人です。一般的にはやはり主流文学系の作家だと認識されることが多いと思うけれど、特に初期の作品にはしっかりSFと銘打たれたものも多く、時代を考えるとある意味では日本SFの源泉と呼べる作家かもしれない。まあ、たとえどんな名前で呼ばれようとも安部公房の小説は安部公房の小説としか言い様の無い強烈な個性を放つので、ジャンル分けはあまり意味が無いかも知れないけれど。

(余談だけれど、僕はどうやらこういうタイプの作家が最も好きらしい。安部公房、カート・ヴォネガット、村上春樹、ガルシア=マルケスまでいくとさすがにSF書評で紹介すると怒られるかな…?)

その安部SFの代表作といえば、長編ではやはりこの「第四間氷期」だろう。彼の長編は短編の完成度の高さとは対照的に、一見無軌道にも思える思考の迷走ぶりが特徴で、場合によっては読んでいてときどき完全に迷子になってしまうこともあるのだけれど、これは長編の中ではすごく読みやすくて楽しめる作品だと思う。

崩壊を予感させる”序曲”から始まった物語は、予言機械の発明、殺人事件、胎児ブローカー、そして水棲人と、様々な要素が複雑に有機的に(そう、彼の小説は生き物のようだ)絡み合いながら進行する。彼の小説テーマのひとつに”価値の相対化”が挙げられると思うけれど、この作品でも読み進めるうちに現実と夢、善と悪、過去と未来の境界はどんどん薄れてゆき、自分の今立っている場所もいつしかわからなくなるがそれでも物語は進むのを止めない。そして最終章”ブループリント”で、複雑に成長を遂げた物語の全てが海に飲み込まれてぴたりと閉じる様は圧巻。ラストの水棲人の少年のエピソードはまるで美しい詩のようで感動します。

読み終わって、面白い小説を読んだという満足感の裏に隠れて心の隅にひっそりとこびりついて取れなくなってしまった一握りの不安感が、ときどきどうにも気になって仕方が無い、そんな作品ではないだろうか。版画調の挿絵も雰囲気を盛り上げます。安部作品初心者にもオススメ?の一冊。

ところで阿部公房の娘さんの名前は”ねり”さんというそうだが、これってもちろんグスコーブドリの妹ネリからとったものですよね?すごく良い名前で、僕ももし娘が生まれたらねり(”音梨”とかね)と名づけたい誘惑に駆られるだろうなぁ…まあそんな予定は全く無いんだけど。

「第四間氷期」 安部公房(日) 1959
水棲人の少年のように死にたい ★★★★

第四間氷期
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# by k_g_zamuza | 2005-10-31 20:52 | SF的生活

私の愛したSF(11) 「渚にて」

感動するSFをひとつ挙げろと言われれば、僕はこれです。ネビル・シュート「渚にて」。見開きの作品紹介を、あまり良い文章ではないけれどあえてそのまま引用してみる。

”第三次世界大戦が勃発した。ソ連と北大西洋条約諸国の交戦はひきつづいてソ中戦争へと発展し、4千7百個以上の水爆とコバルト爆弾が炸裂した。戦争は短期間に終結した。しかし濃密な放射能が北半球をおおい、それに汚染された諸国は、つぎつぎに死滅していった。その頃、かろうじて生き残ったアメリカの原子力潜水艦スコーピオン号は、放射能帯を避けてメルボルンに非難してきた。オーストラリアはまだ無事だった。しかしおそるべき放射能は刻々と南下し、人類最後の日が迫っていた。フィクションの域を越えて読者に迫真の感動をあたえる名編!”

一読してすぐわかるように、書かれたのは冷戦真っ只中の1957年。世界が核の恐怖に脅えていた時代、ということになるのだろう。僕はびっくりしたのだけれど、ネビル・シュートはこの作中の時間を196X年に設定している。つまり10年後には世界が終わる、と書いたのだ。現代に生きる僕にはちょっと想像もつかないのだが、世界がそんな危機感に満ちていた時代が確かにあったことが、僕にはどんな歴史の教科書を読むよりリアルに感じられた。

さて、じゃあ今となってはこの作品は完全にアウト・オブ・デイトなのか、と思う人もいるかもしれないが、それは全くの間違いだ。ネビル・シュートは時代を超えて読者に迫る人間存在のあり方をこの作中に見事に示した。絶対に免れられない死を目前にしながら、人々はより良く生きることを望み、そして静かに滅びを迎える。読めば絶対に、誰でも、心を動かされるはずです。必読。

作者のネビル・シュートについて、この人は地元イギリスでは相当な人気作家、らしい。ところが日本での認知度はいまいちで、現在Amazon で買える彼の翻訳作品は「渚にて」「パイド・パイパー」「アリスのような町」のたった3冊である。その中でも「渚にて」だけが特に有名で、かくいう僕も実は未だに「渚にて」しか読んでいなかったりする。(このあいだやっと「パイド・パイパー」を入手したのだけれど読む前に父親に持っていかれてしまった…”すごく面白かった”とのこと)「渚にて」一作で十分過ぎる位だ、とはみんなが思うことかもしれないが、SF専門ではなくもっと懐の深い作家らしいので、それだけで満足してしまうのはどうやら勿体無いようです。

それから「渚にて」はグレゴリー・ペック主演で映画にもなっており、こちらも名作らしい。僕は例によって未見ですが(あんまり映画好きじゃないもので…)小説より映画の方がとっつきやすいと感じる人は、映画から試すのも良いかもしれません。

「渚にて」 ネビル・シュート(英) 1957
かくて世の終わり来たりぬ ★★★★★

渚にて―人類最後の日
ネビル・シュート 井上 勇
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ところで、
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# by k_g_zamuza | 2005-10-26 14:09 | SF的生活

SF的生活補記。 (SFにおける各賞について)

書評が長くなる一方なので最後に簡単なまとめの情報をつけることにします。あんまり長くて自分でも読むのが面倒になってきたもので(汗)形式は以下のとおり。

「タイトル」 作者名(国名) 発表年
受賞記録

ひとこと ★評価☆

発表年からは書かれた時代背景が、国名からは文化的背景がそれぞれ想像出来るので結構重要な情報です。”ひとこと”は本当にひとこと。適当です。評価は僕の個人的な評価。★5つが最高で、☆は★の半個ぶんだと考えてください。でもこれもかなりアバウトです。

受賞記録についてですが、ここに書くのは基本的にヒューゴー賞、ネビュラ賞、星雲賞、日本SF大賞の4つとします。他にもローカス賞なんかすごく権威のある賞だけれど、きりが無くなってしまうので。

以下に各賞について簡単な説明を載せます。もっと詳しく知りたい方はネット検索でどうぞ。

ヒューゴー賞
世界SF大会参加者のファン投票によって毎年決定される文学賞。1953年発足の歴史ある賞。現在は12部門?まで細分化が進んでいるが、小説に与えられるものは長篇(Novel)、長中篇(Novella)、中篇(Novelette)、短篇(Short Story)の4つ。基本的に英語圏の作品が選ばれる。

ネビュラ賞
アメリカSFファンタジー作家協会(SFWA)が、過去2年間にアメリカ国内で発表された作品に対して毎年与える賞。ファンが選ぶヒューゴー賞に対してプロが選ぶネビュラ賞、と考えるとわかりやすい。この両賞を同時に受賞した作品は「ダブル・クラウン」と呼ばれる。細かい部門はやはり色々あるようだが、小説部門はヒューゴー賞と同じく4つ。1965年発足。

星雲賞
ヒューゴー賞を手本として、日本SF大会参加者のファン投票で決める賞。1970年より。小説部門は国内、海外各長短編の4つで、そのほかにメディア、コミック、アート部門などがある。

日本SF大賞
こちらは国内のネビュラ賞にあたるもので、1980年に日本SF作家クラブが創設した。小説、漫画、映像、音楽など、メディアにとらわれずに、毎年大賞を1作か2作選出する仕組みになっている。

ヒューゴー賞、ネビュラ賞はさすがに権威ある賞だけあって、受賞作品が全くの外れだったという経験は今のところ無いと思う。もちろん好みに合わないことはあるけれど、必ずなんらかのアピールはあるので読んで損をしたという気分にはならないです。ダブル・クラウン受賞作ともなればとりあえず読むのが当たり前。この2賞は僕は全面的に信頼してます。

星雲賞は今日本で何が人気があるのか?というバロメータとしては面白い。受賞作は必ず読め、というほどのものでは決して無いです(笑)まあそもそも僕は国内作品はあんまり好きじゃないので。SFに限らず、日本の作品はどうも湿気が多いと思わないですか?モンスーン型民族の特徴ってやつですかね。同じ理由で日本SF大賞も僕にはあまりなじみのない賞なんですが、せっかくだから国内作品ももっと読んでみようかな、と最近は思ってます。
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# by k_g_zamuza | 2005-10-25 19:55 | SF的生活

私の愛したSF(10) 「タイタンの妖女」

ようやく2桁到達、3桁目指して頑張ります。今回は特に思い入れの強い、カート・ヴォネガット・ジュニア「タイタンの妖女」を。

”時間等曲率漏斗の真っ只中に自家用宇宙船で飛び込んだウインストン・ナイルス・ラムファード(と彼の愛犬カザック)。その結果太陽内部からペテルギウス星にいたる時間的空間的らせん上の波動現象として存在するようになった彼は、その能力をもって人類の救済に乗り出す。そのために人生を操られた大富豪マラカイ・コンスタントこそ哀れであった。富を失い、記憶を奪われ、火星へ、水星へと宇宙を放浪するコンスタント。最後の目的地タイタンで明かされるコンスタントの、ラムファードの、そして人類の行為の意味とはいったい何だったのか?”

カート・ヴォネガット(初期作品ではカート・ヴォネガット・ジュニアの表記となるが親子ではなく同一人物なので、ここでは短いほうで統一する)は日本で最も人気のある現代アメリカ作家のひとりだという。ためしにGoogle 検索をかけてみると”カート・ヴォネガット”(1922-)で約52800件、”トルーマン・カポーティ”(1924-1984)だと約41800件、おお、さすがにカポーティを上回るとは思わなかった。すごいすごい。

そのわりには僕のまわりでヴォネガット好きです!なんて言っている人はついぞみたことがない。(というかそもそも本好きが数えるほどしかいないんだけど…とほほ)これはやっぱり彼の作品のほとんどがハヤカワSF文庫に収められているせいなのかもしれないなぁと思う。みんなミステリは読んでもSFなんか読まないんでしょ?(ハイ、ひがみです)

ヴォネガット本人も評価されるまでは”SF作家”という肩書きにずいぶん悩まされたらしいけれど、彼の小説テーマはどちらかというと主流文学のそれである。もっとも彼がSF的展開を多用するのも事実で、幾つかの作中ではキルゴア・トラウトなるSF作家を登場させてSF論を語らせたりもしており、ヴォネガットがSFというジャンルに深い愛着を持っているのも確かなのだが。

そんな彼の作品には「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」「母なる夜」のようにこれってSFなの?と思うようなものも多いのだけれど、(それでもハヤカワの青背なんだけど)1959年に発表されたこの「タイタンの妖女」はその中で最も正統派のSF作品である。ブライアン・オールディスはこの作品をSFのジャンルの1つ、ワイドスクリーン・バロック(この名称はオールディス自身が考案したんだけどね)に位置づけているが、これはなかなか的確な分類だと思う。

オールディス自身の定義を知りたい人はググってくれればすぐに見つかるのでそちらを参照してもらうことにして、僕が認識するワイドスクリーン・バロックというのは、ぶっとんだアイデアを詰め込むだけ詰め込んでおいて、大抵のSF作家が気にするような細部の調整(SFの”S”の部分)には目もくれず、(ヴォネガットの場合は一言”そういうものだ”で済む)時間空間飛び越えて、勢い任せで突き進め!という超越的ミラクルバカSFのことなのだが、うん、たしかに「タイタンの妖女」はWSBと呼ぶに相応しい。

(誤解を招くといけないのだが、オールディスも僕もワイドスクリーン・バロックこそ最も愛すべきSF、SFの中のSFだと考えてます。ワイドスクリーン・バロック最高!)

ただ、いくらワイドスクリーン・バロックの流れにあるとは言っても「タイタンの妖女」はあくまで純ヴォネガット的なヴォネガット作品である。というかヴォネガットの方向性はこの作品で決定されたと言ってよい。人間存在への深い絶望と愛を彼一流のユーモアでつつんで綴る、ときに破天荒でときにシビアな、そして常に笑いに満ちた物語。「これまでに書かれたSFの最高傑作」という評価に嘘は無いことを保障します。

ところでこの作品、爆笑問題の大田光が泣ける一冊としてTVで大絶賛していたらしい。それから「いま、会いにゆきます」(これって映画?小説?)にも登場したらしい。そうやって聞くとなんだかミーハーな印象を受けるかもしれないが、一度取り付かれてしまったら自分はこれが好きだと宣言せずには居られない、そんな魅力を持った作品、そして作家なのだろう。もちろん僕にとっても特別な作家なので、彼の作品はこれからもどんどん紹介していくつもりです。これを読んでいるあなたも、ようこそヴォネガットの世界へ。

「タイタンの妖女」 カート・ヴォネガット(米) 1959
星雲賞

ヴォネガット伝説の始まり ★★★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-10-24 14:35 | SF的生活

私の愛したSF(9) 「祈りの海」

ここでは”愛したSF”を銘打って作品紹介をしているけれど、もちろんときどきはあんまり面白くないものにもぶち当たる。それでもせっかく読んだのだし、感じたことを書くのはきっと意味があるだろう。少なくとも100冊ぶんくらいのデータベースにして、誰かの読書のちょっとした手がかりになればという気持ちでやっているので。

さて、そんな微妙な前口上と共に今回紹介するのはグレッグ・イーガンの短編集「祈りの海」である。このSF書評を始めたきっかけは偶然手にしたテッド・チャンの「あなたの人生の物語」がとにかくすごく面白かったからなのだが、そのあとチャンについて少し調べたら、テッド・チャンと共にグレッグ・イーガンが現代SFの代表的作家として賞されていることを知った。

一応言い訳をしておくと、僕はSF書評なんか書いてはいるけれどSFマガジンは読んだことすら無いし、ハヤカワの青背はとりあえずチェック!というタイプのSF読みでは決してない。(だからもしコアなファンがやってきてオマエにSFの何がわかる!と罵られたらゴメンナサイと謝るしかない)そしてSFに限らず、新刊を手に取るよりは発表から時間が経ってある程度評価がしっかりしている本を選ぶことのほうがずっと多いので、(要するに古いSFばかり読んでいたわけ)チャンのこともイーガンのことも全然知らなかったのだ。

ともかくそんなわけでチャンとセットで語られるくらいなのだからイーガンも絶対に面白いに違いない!という期待と共に、例によってBOOK OFF で見つけた「祈りの海」を読んだのだが…正直にいって、僕の中ではイーガンの短編はテッド・チャンに比べると数段落ちると言わざるを得ないという結論に達してしまった。

とはいっても期待していた分裏切られた感が強かったのであって、冷静になって読み返してみればこの作品集決して悪い出来ではない。一番の問題は(特にバイオ系の)ギミックの荒さで、僕は普段はそれほど仕掛けにうるさいほうでは無いと自分では思っているのだけれど、短編で、しかもアイデア自体の面白さで勝負するスタイルの作品でギミックに乗れないのはさすがに致命的だった。

たとえば「ぼくになることを」。簡単に言えば他の人工臓器と同じように脳にもスペアを用意したら、というアイデアなのだが、自前の脳とスペアの脳がたとえ同じように機能しても別人格なのは当たり前で、イーガンがこのネタをどこに着地させようとしたのか何回読んでも良くわからない。人格の人口構築という意味では「誘拐」も同じネタだが、こちらはスマートだ。要するにコンピュータ上に再構築した人格は他者にとってはその人物そのものになりうるが、本人にとっては同一ではありえないということなのだが、イーガン本人がどの程度の認識で書いているのか、なんだかちゃんと解っているのか少し不安になる。

「貸金庫」はSFというよりはユーレイ小説だ。コナン・ドイルが書いたのなら傑作だったかもしれないが、書かれたのは1990年である。ちょっと荒唐無稽すぎやしないか?という印象。「ミトコンドリア・イヴ」もおかしい。この認識ではスティーブン・J・グールド先生あたりが怒りだしそうだ。

ケチをつけるのはここまでにして良かった作品を挙げると、まずヒューゴー賞、ローカス賞を受賞した表題作「祈りの海」はさすがに読み応えがあった。医療SF「イェユーカ」も良い。この2つはアイデアがどうこうというのではなく、ちゃんと小説として成立していて面白いと思う。「繭」は僕がこれまであまり出会ったことの無いアイデア。それから「百光年ダイアリー」の最初から開き直ってごり押しにごり押しを重ねた感じは結構好きだった。

まとめ。決して悪くは無いのだけれど、ひいきになるほどの魅力は残念ながら感じられなかった。アイデアの切れ味と、そこから構築した世界の魅力、どちらも極めて高度なレヴェルにあるテッド・チャンの作品群と比べると、イーガンは明らかに荒く感じる。ま、短編集を1冊読んだだけでイーガンの評価としてしまうのはフェアじゃ無いだろうから、機会があれば他の作品も試してみます。

「祈りの海」 グレッグ・イーガン(豪) 2000(日本版オリジナル短編集)
ヒューゴー賞、星雲賞

支持者は多い ★★☆

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# by k_g_zamuza | 2005-10-22 19:43 | SF的生活

私の愛したSF(8) 「宇宙の戦士」

「エンダーのゲーム」のところでちょっと書いたついでに、ロバート・A・ハインライン「宇宙の戦士」をとりあげておきたい。SF界では有名な問題作かと思うので。

ストーリーはごくシンプルで、クモ型異星人との恒星間戦争を舞台に、主人公ジョニーが厳しい訓練の果てに一人前の戦士へと成長してゆく姿を描いた作品である。

この作品が何かと問題視されるのは、主人公の高校の<歴史と道徳哲学>教師として登場するジャン・V・デュボア機動歩兵退役中佐の言葉を通して、ハインラインが典型的なアメリカの力の哲学、軍国主義的思想を全面的に展開している点に尽きる。日本でもこの内容に対して発表当時SFファンの間で激しい議論が沸き起こったようで、当時の投書によるやりとりが解説に掲載されておりこれがなかなか興味深い。ただし、現代の読者として言わせて貰えば解説に載っている多くの反対意見は結局は「この作品は軍国主義的だ。だから駄目だ」という脊髄反射的嫌悪感から生まれているようであり、それが何故駄目なのか、という点を明確にしている人がいないところにやや不満が残るし、時代を感じる。

たとえば物語が始まったばかりのところでデュボア先生はいきなりこんなことを言う。

「…暴力、むきだしの力は、歴史におけるほかのどの要素にくらべても、より多くの事件を解決しているのだ。…この根本的事実を忘れた種族は、人命と自由という高価な代償を払わされてきたんだぞ」

さすがにうっ、と思うけれど、じゃあこれに対する論理的な反対意見を我々は明確に示すことが出来るのか、と考えてみたらどうだろう。僕は決して戦争肯定派では無いし、アメリカのある部分は本当に気に入らない。それでも、21世紀になった今でもここに書かれたことを全く幼稚で時代遅れだと笑い飛ばすことは出来ないし、ときには真実を鋭く突いているのではないか?(とりわけ少年犯罪に対するくだりは日本の現状と照らし合わせると考えさせるところは多い)

ハインライン自身の思想が右だろうが左だろうが(この作中では軍国主義を中心に据えたユートピア論を展開している)、クモ型異星人はWWⅡでの日本人をイメージしているとか、そんなことはたいした問題では無い。読み手にアピールがあるか無いかという点において、この作品は傑作だと僕は思う。(もちろん単純にドンパチが嫌いな人にとってみれば読む気もおきない駄作なのだろう。そういう意味では村上龍「五分後の世界」と通じるな、と今気づいた)

ともかく、賛否両論はあれどこの作品がこれまで多くの人に読まれ、支持もされてきたのは事実だ。1960年のヒューゴー賞を受賞しているし1997年には映画化もされた。(この映画もまた色々あるらしいけれど僕は未見なのでコメントはしない)日本での人気も高く「機動戦士ガンダム」の元ネタとも言われており、1988年にはアニメ化までされている。(これも見ていない。見たい…)このあたりは作品のエンターテイメントSFとしての質の高さを反映していると言えるだろう。ひょっとしたら難しいことは考えずに、とにかくパワードスーツは格好良いじゃないか!という楽しみ方が一番なのかもしれない。

ここから先は作品には関係ないちょっとした暴言。ハインラインの作品で最も評価が高いのはオールタイム・ベストSFの上位に必ず入ってくる「夏への扉」だと思うけれど、僕は正直にいってこの作品のどこがそんなに良いのか全く解らない。ハリウッド映画的ベタベタのハッピーエンド・ストーリーで、これを読んですっごい感動した!なんて言ってる人にはつい本気なのかと訊きたくなる。ただ猫が出てきて可愛いっていうだけじゃないの?どうなの?

「宇宙の戦士」 ロバート・A・ハインライン(米) 1959
ヒューゴー賞

ベスト・オブ・問題作 ★★★★

宇宙の戦士
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# by k_g_zamuza | 2005-10-21 16:03 | SF的生活

SF国境線(2) 「ペ」

ショート・ショートといえば日本ではとにかく星新一氏が圧倒的に有名で、僕も小学生くらいの頃にハマッてめちゃくちゃに読み漁った経験があるけれど、今回紹介するのは詩人・谷川俊太郎のショート・ショート集「ペ」。谷川俊太郎は誰でも知っていると思うけれど、彼のショート・ショートはあんまり知られていないんじゃないかと思う。でもこれがなかなか凄いんです。

この作品集には表題作「ペ」をはじめとして全部で23篇のショート・ショートが納められている。どれもそれなりに面白いとは思うのだけれど、正直に言えばもっと良いショート・ショート作品は他に沢山ある。筒井康隆の無茶苦茶なパワー、星新一のスマートな切れ味、それらに比べると谷川俊太郎のショート・ショートはどうしても地味だったり、ピンぼけだったりする感が否めない。(僕がこのアイデアはイケてるぞと思ったのは「探偵電子計算機」くらいかも)

じゃあいったい何が良いのかというと、ところどころで感じられる言葉の生きた質感というか、妙な生々しさというか、読んでいてときどき血のにおいがする(別に内容がグロテスクなわけではない)ようなところがあるのだ。

それが最も端的に現れているのは少年少女を描いたもので、具体的には「押入れの中」「窓の中」、それから「りんごのある風景」の中の「ウィルヘルム・テル」なのだが、どれもハッとするようなオチが用意されている訳ではなく、ショート・ショート作品としては平凡、あるいは駄作かもしれない。でもそのごく短い文章中に描かれた少年と少女のやりとりが、なんというか、すごく”エロい”のだ。

ええと、うまく言葉で説明出来ないのが非常にもどかしいのだけれど、未だその意味を知らない子供たちの、無意識ゆえにときにより鮮やかに描き出されてしまう性、とでも言おうか、なんだか胸がいっぱいになってしまうような、そういう感覚。それをこんなにシンプルな言葉でここまで生々しく表現出来るのは卓越した詩人の感性ならではの所業なのだろう、きっと。

それが読んでいて心地よいとか、エロさがやみつきになる、とかそういうことでは決して無いのだけれど(ええ違いますとも)、それでも僕はときどき読み返して、うーん、やっぱりこれはなかなか凄いかも、思うのだ。

ストレンジ・テイストを求めるあなたに。和田誠氏のイラストも実に良い味を添えています。

「ペ」 谷川俊太郎(日) 1982
詩人の妄想世界 ★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-10-15 17:46 | SF的生活

私の愛したSF(7) 「死者の代弁者」

それでは前回の「エンダーのゲーム」の正統な続編にあたる、オーソン・スコット・カード「死者の代弁者」の紹介を。

”舞台は「エンダーのゲーム」より三千年(!)が経過した未来。人類は惑星ルジタニアでバガー以来2度目となる知的生命体ピギーと遭遇する。不幸な戦争を繰り返さぬため、ピギーとのコンタクトは専門家である”異類学者(ゼノロジャー)”の主導の元、慎重に慎重を重ねて行われていたはずであった。が、異類学者ピポがピギー達に惨殺されるという事件が起こってしまう。ピポの死の真相を明らかにするべく、<死者の代弁者>がルジタニアへと向かった…。”

続編とは言え、この2作品の雰囲気は全く異なっている。(もちろん同じようなものを書いて2年連続ダブルクラウン受賞なんてありえないだろうけれど)「エンダーのゲーム」は古典的なエンターテイメントの枠組みを忠実になぞることで、「死者の代弁者」はそこから逸脱することで、それぞれ傑作となったと言えるかもしれない。もっと単純化すれば、”動”の「エンダー」に対して”静”の「代弁者」と言ったところか。だからといって「代弁者」が「エンダー」に比べて退屈だなんてことは少しも無くて、ピポの死という”謎”を軸にラストまでぐいぐいと読ませるストーリーテーリングの巧みさは健在だ。

異星の文化、生態系を描くという意味では、ル・グィンの「闇の左手」(1969年、これもダブルクラウン受賞)に似ているような印象を受けた。そういえば作中に出てくる”アンシブル”(超高速即時通信装置)は確かル・グィンが生みの親で「闇の左手」でも使われていたな…なんてことを考えながら読んでいたら、解説でずばり同じことが指摘されていた。ともかくピギーの謎の多い生態や異類学者の悪戦苦闘ぶりなどはかなり良く描かれていて僕は好きである。あえて文句をつけるなら、デスコラーダという病原体に関するくだりは(ストーリー上重要な部分だけに)生物屋のはしくれとしてはちょっと納得がいかないぞ、という気持ちがある。それから登場人物の名前がやたらと長かったり会話がときどきカタカナ言葉(ポルトガル語)になったりするのは、これもル・グィン風味なのかもしれないが正直に言って読みづらいだけのように思った。

この作品では”他者をいかに理解するか”というのが大きなテーマになっていて、そういう視点で眺めるとカードが作中に実に様々なレヴェルの”他者”を配置してみせていることがわかる。バガーやピギーといった異星人だけが他者では無い、父も兄弟も恋人も他者であり、その間にはときに絶望的にも思えるディスコミュニケーションの深淵が暗い口をみせているのだけれど、敬虔なモルモン教徒であるカードはそのすべてはいつか必ず乗り越えられるし、またそうあるべきなのだとかたく信じているのだろう。それを説教臭く感じる人もいるようだが、僕は結構素直に受け入れて楽しむことが出来た。

上手く生きるのは難しい。正しく生きるのはもっと難しい。それでも善くあろうと自分なりに努力した結果なのだと、出来ることなら誰かに理解して欲しい。僕が死んだら<死者の代弁者>はどんな風に<代弁>を行うだろうか?読み終えてそんなことを考えた一冊。興味を持った方、読むときは必ず「エンダーのゲーム」から順番にどうぞ。

「死者の代弁者」 オーソン・スコット・カード(米) 1986
ヒューゴー賞、ネビュラ賞

モルモン教徒の本領発揮? ★★★★☆

死者の代弁者〈上〉
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# by k_g_zamuza | 2005-10-08 01:29 | SF的生活