私の愛したSF(6) 「エンダーのゲーム」

前にも書いたと思うけれど僕はBOOK OFFが大好きで、ここ数年は専門書や雑誌以外の本を定価で買った記憶が無い。最近は文庫本の値段がやたら高くて1冊800円なんてのが当たり前だけれど、800円あるならBOOK OFFで100円の本を8冊買って読んだほうが絶対に自分の得られるものが大きいように(少なくとも今の僕は)思う。それにたまの休みに市内のBOOK OFFをぐるりと巡ってずっと探していた本を見つけたときの嬉しさというのは、ちょっと他では得がたいものなのだ。

つい先日も大学近くの1軒で前々から読みたかったSFが大量に棚に並んでいるのを発見し、小躍りしながら持ち帰って今も片端から読んでいる最中なのだが、その中でも真っ先に読み終えたのがオーソン・スコット・カードのいわゆる”エンダー・シリーズ”の2作品、「死者の代弁者」と「エンダーズ・シャドウ」である。どちらも期待を裏切らない面白さでさっそく感想をここに書きたいところなのだけれど、ともかくまずは”エンダー・シリーズ”の記念すべき1作目である傑作「エンダーのゲーム」から紹介しよう。

オーソン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」は1985年に発表され、ヒューゴー賞、ネビュラ賞のダブルクラウンを獲得したSF長編である。もともとはカードの同名の処女短編(「無伴奏ソナタ」に収録)だったものを長編化した作品だということだが、僕は短編「エンダーのゲーム」は残念ながら未読である。ともかく長編の簡単なあらすじはこうだ。

”昆虫型異星人バガーの2度にわたる侵略をかろうじて食い止めた地球人は、差し迫るバガーとの最終戦争を前に、人類を勝利に導く史上最高の司令官を育成するためのバトル・スクールを設立し、世界中から集めた優秀な子供たちに対して戦闘訓練(=ゲーム)を行っていた。主人公アンドルー・ウイッギン、通称エンダーもその1人であり、6歳にしてバトル・スクールに入校した彼はその飛びぬけた天才をもってあらゆるゲームで最高の成績をあげてゆく。果たしてエンダーはその名のとおり戦争を終わらせる者となれるのか…?”

SF好きならこのストーリーにハインライン「宇宙の戦士」(1959年、1997年には「スターシップ・トゥルーパーズ」のタイトルで映画化もされている)との共通項を見出す人も多いだろう。どちらも昆虫型(アリとクモの違いはあれど)異星人との宇宙戦争を背景に、兵士の成長過程を描いた物語であり、またエンターテイメント小説の形をとりながら作者の思想を色濃く反映した啓蒙書として読める点も同じである。カードの思想はハインラインのイケイケ愛国主義とは全く異なるけれども、それゆえにカードには自分なりの「宇宙の戦士」を描いてみたいという気持ちがあったのではないだろうか。

ついでに世界を救うために子供が戦う、という設定からは僕の世代だとどうしてもGAINAXのアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が思い出されるのだけれど、これは「エヴァ」が「エンダー」を(ある程度)意識して作られたと考えて良さそうに思える。たとえばエンダーの世界では人口抑制政策により基本的に一家庭に許される子供は2人までであり、第3子であるエンダーは”サード”と呼ばれ虐められたりするのだが、「エヴァ」の主人公碇シンジはご存知”サード・チルドレン”だ。そうやって考えてゆくとシンジくんの見事なまでの駄目っぷりは、天才少年エンダーの悩みながらもすべてを独力で解決してしまう優等生っぷりへのアンチテーゼ(というか庵野監督の反発)なのかな、なんて気がしないこともない。ともかくこれは余計な話。

さて、「エンダーのゲーム」だが、子供が主人公のヒーロー物というのは老若男女、時代を問わず好まれる(みんな昔は子供だったものね)定番ストーリーの1つかと思う。それをオーソン・スコット・カードという、ストーリーテーリングが最高に巧く、さらに子供の心理を描くのも飛びぬけて巧みな作家が書いたのだから、これはもう面白くてアタリマエなのだ。

SF的小道具については現在の読者にとっては取りたてて目新しいものは無く、オチも結構間単に想像が付くんじゃないかと思うけれど、それでこの作品の面白さが失われるなんてことは少しも無い。コンピュータ技術の描写に関してはなかなかのもので、例えばバーチャル・ゲームによる戦闘は今では当たり前の概念だが、20年も前に書かれたものなのにほとんど違和感なく読めるのは凄いことだろう。またサブキャラクタとして登場するエンダーの兄ピーターと姉ヴァレンタインはどちらも子供ながらエンダーに劣らぬ天才なのだが、この2人がネットの匿名性を利用して正体を隠してコメントを発表し、世論を動かしていくくだりは現代のネット社会の一面を的確に捉えていて(彼らはいわゆる”自作自演”までやっている)非常に面白い。

反対に物足りないのは地球内での対立がずいぶん未来に設定されているはずなのにいまだ西側対東側の構図そのままに描かれているところで、この辺りはカードの想像力の限界なのか、それほど興味が無く、ストーリー展開上必要だったから書いただけなのか、あるいは当時現実に感じていた恐怖をそのまま書かずにはいられなかったからなのかはわからない。

カードはこの「エンダーのゲーム」をシリーズ化しており、続編「死者の代弁者」で2年連続のダブルクラウンという快挙を成し遂げた。そして物語はさらに「ゼノサイド」「エンダーの子どもたち」と続いてゆく。一方で「エンダーのゲーム」に登場した、エンダーに劣らぬ天才少年ビーンを主人公に据えた”裏エンダー・シリーズ”(”ビーン・シリーズ”あるいは”シャドウ・シリーズ”?)とも言うべき作品群もあって、こちらは「エンダーズ・シャドウ」「シャドウ・オブ・ヘゲモン」「シャドウ・パペッツ」と発表されており、どうやらまだ続くようである。

ところで「エンダーのゲーム」には映画化の話が昔からあるらしい。昔から噂されているのにいまだ確実な情報ではないというのがなんだか引っかかるところかも知れないけれど、逆に言えばそれだけ映画化がファンから待ち望まれているとも言えるんじゃないだろうか。いざ映画化となったとき、「俺読んだことあるよ!めちゃくちゃ面白いよ!」と友達に言う優越感を得るためにも、未読の方は今のうちに読んでおいて損は無いですよ、本当に。

「エンダーのゲーム」 オーソン・スコット・カード(米) 1985
ヒューゴー賞、ネビュラ賞

完璧なエンターテイメント+α ★★★★★

エンダーのゲーム
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# by k_g_zamuza | 2005-10-05 23:45 | SF的生活

私の愛したSF(5) 「プラネテス」 

後輩が「面白いっすよ~」と貸してくれたDVDを観た。NHKのアニメ「プラネテス」である。振れ幅の大きいキャラクター達や後半ちょっと詰め込み過ぎの感のある展開にやや戸惑いつつも、トータルでは十分に楽しめた。その後原作である幸村誠の漫画「プラネテス」を同じ後輩に借りて読んだのだが、これがアニメから期待したものをはるかに凌ぐ面白さにびっくり&大満足。というわけで今回は漫画の「プラネテス」の話をしたい。

時は西暦2074年、主人公ハチマキは宇宙開発により生じた宇宙のゴミ=デブリの処理業者、通称デブリ屋である。そんな彼が人類初の木星往還船の乗組員を目指す話を大きな軸として、生きること、理想を追うこと、愛すること、といった普遍的テーマを追いかけたストーリー。作者の幸村誠はこの作品がデビュー作ということだが、見事な構成力と表現力を備えており、星雲賞受賞にも十分に納得がゆく。でもそんなことはどうでもよくて、とにかく作者のSFマインドが、自分はこれが好きだ、という気持ちをこれでもかとばかりにぶちまけた世界が、もう堪らないのである。

SFファンなどという夢見がちでおっちょこちょいな人種は大体宮沢賢治には強く惹かれるものだが、幸村誠も賢治への思い入れは相当なもののようで、第2巻では賢治作品の中でもかなりマイナーな詩「サキノハカといふ黒い花といっしょに」を引用、また第4巻では同じく詩作「小岩井牧場」のパート九より抜粋して引用し、「グスコーブドリの伝記」(偶然にも先日紹介したばかりだ)をモチーフにした話も描いている。

(もっとも第4巻PHASE18「グスコーブドリのように」はイマイチ焦点が定まらなく、すっきりしない話になってしまっている。ヤマガタもロック・スミスもグスコーブドリの理想からは程遠い。作者がそれに気づかないはずは無いのだが)

それから個人的には第3巻でタナベの父親が口ずさむ歌がTHE BLUE HEARTS の「夕暮れ」と「ながれもの」というのがまたツボで、甲本ヒロトの世界と宮沢賢治の世界には共通する部分が少なからずあるとずっと思っていた自分としては、ようやく同じことを感じているヒトにめぐり合えた気がしてそれだけで嬉しくて仕方が無い。あまりに嬉しいので無茶を承知で「夕暮れ」の歌詞を以下に載せる。思えば作品にはぴったりの歌詞と思うがどうか。

「夕暮れ」 甲本ヒロト

はっきりさせなくてもいい 
あやふやなまんまでいい
僕達はなんとなく幸せになるんだ
何年たってもいい 遠く離れてもいい
独りぼっちじゃないぜ ウインクするぜ
夕暮れが僕のドアをノックする頃に
あなたをギュッと抱きたくなってる

ええと、ともかく漫画「プラネテス」は普通の漫画としてもSFとして読んでも面白い。ちょっとマニアックな人間向けの仕掛けも散りばめてあり、誰が読んでもそれぞれに楽しめる作品ではないだろうか。アニメはアニメでかなり大きく設定も変えてあり、それはそれで十分に面白いのだけれど僕としては冒頭で述べたようにどうにも詰め込み過ぎで消化不良の感が否めなかった。(クレアのエピソードなんかは不必要では?)僕は断然原作をオススメします。

「プラネテス」 幸村誠(日) 2001-2004(全4冊)
星雲賞

愛することはやめられない ★★★

プラネテス (1)
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# by k_g_zamuza | 2005-09-22 23:21 | SF的生活

SF国境線(1) 「グスコーブドリの伝記」

SFファンの間ではよく「SFの定義」というのが問題になる。そして議論はいつも同じところを巡り、(Sense of Wonder の有無、”スペキュレイティヴ・フィクション”、いや”少し不思議”の略だ、SFマインド、ガンダムはSFじゃない、etc. )いつも決着がつかずに終わるのだけれど、僕の個人的な見解としてはそれはポッター・スチュワートの猥褻性の定義~猥褻性は言葉では定義できないが、目で見ればそれが猥褻だとわかる~によく似ていると思う。

なぜ急にそんなことを言い出したかというと、今僕はこのブログの一角にSF書評のようなものを書き始めているわけだが、書いていて気づいたのは、SF及びファンタジーこそ本読みとしての僕の出発点であり、ほとんど到達点でもあった、ということだ。そのことが個人的にはすごく面白かったので、今後も”SF”をキーワードに僕が好きなSF的モノを紹介していく、という試みをしたい、と考えているのである。

だからといって”私の愛したSF 「竹取物語」”なんて書くのはさすがに自分でもちょっと気がひけるし、場合によっては要らぬ誤解をも招きそうなので、一般的にはSFとは認知されないことも多いけれど、SF的手法が用いられておりSFと呼べなくもなさそうな作品で、僕が好きなモノを紹介するために”SF国境線”という言葉を編み出してみた。前口上がずいぶん長くなったけれど、その記念すべき第一回目として、個人的にタイムリーなトピックでもある宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を紹介したい。(なお彼の作品は著作権が消滅しており、リンク先の青空文庫で全文読むことが可能)

生前に出版された宮沢賢治の単行本は詩集「春と修羅」および童話集「注文の多い料理店」の2冊のみだが、そのほかに数編の詩や童話を雑誌上で発表している。「グスコーブドリの伝記」もそんなひとつで、死の前年、36歳のときに「児童文学」という雑誌に発表した作品である。

物語の舞台はイーハトーブ、賢治曰く、”著者の心象中に実在した理想郷としての岩手県”である。しかし物語の主人公ブドリは、冷害による飢饉のため幼くして両親と死に別れ、妹ネリとも離ればなれになってしまう。(理想郷にも飢饉はちゃんと来るのだ。このあたり、理想郷とはどこか空想の世界にあるものでは無く、人間の耐えざる努力と奉仕によって創りあげるものだ、という彼の思想が良く表れている)その後ブドリは様々な経験をしながら成長し、やがてイーハトーブの市へ出て科学を学ぶ。賢治の分身であるブドリは賢治がそうしたように、自らが得た知識を農民の生活向上のために使うことを願い、最後には自らを犠牲にして、かつて彼からすべてを奪ったのと同じ冷害からイーハトーブを守ってみせる。そこにあるのは、善なるものへの絶対的な信頼であり、賢治の美しい祈りの結晶である。

もちろんこの作品の魅力はそれだけではなく、”てぐす”の原料となる虫(カイコのような虫だろう)を飼う男とか、玩具のような小さな飛行船を乗り回す博士とか、ブドリが勤めるのが電気機械によって火山をコントロールする火山局で、その技術を用いて空から肥料を降らせたりする、などSF的ガジェットに溢れたなんとも愉快なイーハトーブの世界が、物語としての面白さをしっかりと担っている。このあたりは思想家であると共に科学者でもあった賢治の面目躍如といったところだ。ラストの仕掛けが”炭酸ガスによる温室効果”というのも時代などを考えればすごいことかもしれない。

誰か才能のある人に、この作品をぜひSF仕立てで再話して貰いたいな、と僕は密かに願っている。(そういえばこの間ますむらひろしの漫画が文庫化されて書店に並んでいるのを見た。めちゃくちゃ欲しいのだが懐が…)

「グスコーブドリの伝記」 宮沢賢治(日) 1932(雑誌上に発表)
宇宙詩人の理想郷 ★★★★★
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# by k_g_zamuza | 2005-09-17 23:43 | SF的生活

私の愛したSF(4) 「アド・バード」

椎名誠といえば一般的には「怪しい探検隊」とか「哀愁の町に霧が降るのだ」のような旅行記、エッセイを得意とする作家のイメージが強いと思うのだけれど、実は彼は筋金入りのSF中毒にして、国内有数のSF作家でもある。とにかく数多い彼の著作の中に、SF三部作と呼ばれる作品があって、すなわち「アド・バード」「水域」「武装島田倉庫」の3タイトルがそうなのだが、今回はその中でも日本SF大賞を受賞し、著者自身の思い入れも最も強いという「アド・バード」を紹介したい。

三部作の舞台設定はどれも共通していて、カタストロフィ後、荒廃し異形生物と暴走する機械が蔓延るようになった黄昏の近未来である。これはブライアン・オールディス「地球の長い午後」をSFのひとつの理想形として掲げている作者にとっては必然の設定なのだと思うが、もちろんただのコピーなどではなく、それぞれの作品で彼にしか造りえなかった世界(シーナ・ワールド)を提示してみせているのはさすがである。

「アド・バード」の世界では、カタストロフィの原因は核戦争ならぬ広告戦争(!)である。(アド・バードのアドはアドバタイズメントのアド)ストーリーはごくシンプルで、マサルと菊丸の兄弟が行方不明の父親を探しに冒険の旅に出かける、というものだが、一度読み出したら最後、少しずつ明らかになる驚異的な世界の姿に、読者はいつのまにか主人公マサルと同じ視点で驚き、憂い、感動させられることになるだろう。全篇を通して濃い闇に沈んだ世界で、それでも確実に前へと進む若い力が光るラストは本当に美しい。個人的にももっと多くの人に知って貰いたいと思う傑作である。そしてもしこの世界が気に入ったら、ぜひ「水域」「武装島田倉庫」も読んで欲しい。絶対に損はしないことを保障する。(僕が今一番好きなのは「武装島田倉庫」)

ところで椎名誠はこの3部作発表以降、長編SFは書いていないのだけれど、他のエッセイの中でこんなことを言っている。曰く、

「僕の作品のジャンルの一つにいわゆる超常小説と呼ばれるものがあるが、これは書くのにものすごいエネルギーと集中力を必要とするジャンルでもある。その中でも『武装島田倉庫』や『アド・バード』といった一連の作品は、特にきつい。そのわりにこのジャンルは読者が少なく、非常に効率の悪い作業ともいえる…」

確かになじみの仲間とちょっとキャンプして酒飲んで騒いでそれをテキトーに書き飛ばしたエッセイ(失礼!)のほうが、思い入れも時間もたっぷり注ぎ込んだSFより売れる、となるとこれは作家としてはもう馬鹿らしくなってわわわ、ぼく俺わしもう駄目…なんてことになるのは仕方のないことかも知れないけれど、「アド・バード」に心を鷲掴みにされた、シーナSFの大ファンである僕としては、ファイトでぇす、シーナさんファイトでぇす!と叫ばずには居られないのだ。

「アド・バード」 椎名誠(日) 1990
日本SF大賞

プロレス作家はシュートも強かった ★★★★★

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# by k_g_zamuza | 2005-09-08 21:07 | SF的生活

私の愛したSF(3) 「愛はさだめ、さだめは死」

せっかくなのでもうひとつ短編集を。これまたヒューゴー賞、ネビュラ賞受賞作を含むジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「愛はさだめ、さだめは死」について。

著者のジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの生涯は、彼(あるいは彼女)の作品同様かそれ以上に驚きに満ち溢れたものだ。少し長くなるが、紹介させて欲しい。

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、本名アリス・B・シェルドンは1915年に生まれた。幼いころは探検家の父と作家の母に連れられ、世界の秘境を飛び回る生活であった。(アメリカの白人少女で生きているゴリラを見たのは彼女が初めてとか)強大すぎる母親の影響力に常に押しつぶされそうだった彼女は12歳で自殺をはかり、19歳のときには彼女の社交界デビューのために母親が計画したパーティをぶち壊そうと、3日前に知り合ったばかりの男の子と駆け落ちする。妊娠と中絶手術の失敗を経て子供の産めない身体になり、7年後には離婚。この間彼女はグラフィック・アーティストとして生計を立てていた。その後陸軍に入隊し、写真解析士官としてペンタゴンの中枢で働く。軍で知り合ったハンティントン・D・シェルドン大佐と結婚し、1952年からは夫婦共に発足したばかりのCIAでその組織作りに力を注ぐ。3年後、辞職してしばらく姿をくらますが結局は夫の元に戻る。大学に入りなおして52歳で実験心理学の博士号を取得、健康を害して1968年に辞めるまで、大学講師として心理学を教えていた。SFの執筆を始めたのは1967年より。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアという男性名のペンネームで作品を発表、数々の賞を受賞する。1976年に母の死から正体が暴かれ、ティプトリーが女性であったことに世界中のファンが驚く。1987年、アルツハイマー病に罹った夫を射殺、同じベッドで自分の頭を打ち抜いた。享年71歳であった。

この短編集には70年代初期に書かれた短編12編が収められているが、その作風は彼=彼女の人生のように実に多様多彩である。どんなものでも書けてしまう圧倒的な才能と、その裏に隠れたパラノイア的狂気が織り成す作品の数々。時折テクニックに走り過ぎたり、あまりにも難解だったりするので誰にでも薦められるというわけでは無いが、サイバーパンクの先駆けとも言えるヒューゴー賞受賞作「接続された女」、男女間のはてしない距離を描き出してみせた問題作「男たちの知らない女」、そして異性生物の生活環をこの上なく美しい愛の詩として表現したネビュラ賞受賞の表題作「愛はさだめ、さだめは死」、この3作は間違いなく傑作である。

個人的にはとにかく表題作が最も好きだ。まるでファーブル昆虫記のようなSF(それって何だろう?)なので、生物好きにはぜひ一度読んで貰いたい。

「愛はさだめ、さだめは死」 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(米) 1975
ヒューゴー賞、ネビュラ賞

人物は小説より奇なり ★★★☆

愛はさだめ、さだめは死
ジェイムズ,Jr. ティプトリー 伊藤 典夫 浅倉 久志 伊藤 典夫
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# by k_g_zamuza | 2005-09-05 19:20 | SF的生活

私の愛したSF(2) 「ブルー・シャンペン」

予告通りSFシリーズ。スタイルも時代も異なるけれど、昨日の「あなたの人生の物語」と同じく短編集で、やはりヒューゴー賞、ネビュラ賞受賞作を含むジョン・ヴァーリイ「ブルー・シャンペン」を紹介したい。

ここ最近、ジャンルを問わず、短編小説の魅力に取り付かれている。それまでは短編、長編といった形式にこだわったことは無く、とにかく面白いものは面白い、という風にしか考えていなかったのだけれど”短編の面白さ”を意識し始めたのはひょっとしたらこの本を読んだあたりからだったかもしれない。(だからといってこの作品が特別短編ならではの魅力に溢れている、とは思わないけど)

手にしたきっかけはどこかの書評を読んで、だったと思う。主に1980年代に書かれた6篇から成る短編集なのだが、特に秀逸なのが表題作「ブルー・シャンペン」と、同じキャラクターが登場する続編の「タンゴ・チャーリーとフォックストロット・ロミオ」である。

描かれるのは未来の煌びやかな科学技術に囲まれて暮らしながら、結局は不完全な精神の隙間を埋められない人々の孤独と寂寥感。2作品ともに救いのないストーリーだが、主要女性キャラ2人の逞しさによるものか、湿っぽさは無く、むしろ物語を通して静謐で乾いた印象を与える。読後感は相当に重いが、僕はむしろ励まされた気がした。SF的小道具さえ気にならなければ(けっこう悪趣味かもしれない)多くの人が心を動かされるだろう名作。

設定は完全に異なるがヒューゴー賞、ネビュラ賞のダブルクラウンに輝く「PRESS ENTER■」も勿論良い。これは現代(とはいっても1985年当時の)アメリカを舞台にしたコンピュータ・ホラーで、今読むと古臭さは否めないが(なにしろ20年前のコンピュータ技術だ)、ストーリーテーリングの巧さで十分に読ませる作品になっている。

ちょっと書いていて興が乗ってきたので、このSF紹介シリーズ、しばらく続けてみたい。

「ブルー・シャンペン」 ジョン・ヴァーリイ(米) 1986
ヒューゴー賞、ネビュラ賞、星雲賞

何年たっても孤独 ★★★★★

ブルー・シャンペン
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# by k_g_zamuza | 2005-09-03 17:56 | SF的生活

私の愛したSF(1) 「あなたの人生の物語」

今日は助教授の手伝いで学部生のテストの試験監督をしたのだが、その間ずっとテッド・チャンのSF作品集「あなたの人生の物語」を読んでいた。夢中で読んでいたからカンニングし放題だったんじゃないかと思う。

この作品集には1990年から2003年の間に著者が発表したすべての作品、すなわち中短編8篇が収められているのだけれど、そのどれもが相当に高いレヴェルで完成されていてとにかく圧倒される。13年間で中短編8編と聞くとずいぶん寡作のようだけれど、このクオリティの作品をそんなに次々と書き飛ばされては堪らない。なにしろたった8篇でSF界最高の権威のひとつであるネビュラ賞を3回も受賞しているのだ。僕は読んでいる間、まさかこれで全作品だとは夢にも思わずいったいテッド・チャンというのはどれほどの天才なのかと驚き、あとで解説を読んでなんとなくホッとしたくらいだ。

この人は、たぶん話の核となる1つの着想なりイメージなりが初めにあって、それを最も効果的に表現できる舞台設定、ストーリーを持ってくるのが非常に巧い作家なのだと思う。逆に言えばアイデア一発勝負!みたいな感じがしないこともないけれど、それでこれだけの作品が書けるのだから、やはり稀有な才能だろう。

8篇全部にひとつずつ感想をつけるのはさすがに大変なので、半分の4編について。

「理解」
テッド・チャン版「アルジャーノンに花束を」(ちなみにダニエル・キイスのこの作品もネビュラ賞受賞)、とはいっても主人公が偶然に超知性を獲得する、という最初の仕掛けが共通なだけで、その後の展開は全く異なる。最も古い作品ということもあり完成度は今ひとつだと感じたが、知覚認識能力が拡大してゆくとどうなるか、という思考実験の例としてはなかなか興味深い。

「ゼロで割る」
最近ちょうど自分の中で数学ブームだったので、けっこうハマッてしまった。数論と不完全性定理から着想した、綺麗な組木細工のような物語。全く個人的なことだが”ゼロで割る”空しい努力にはいささか身に覚えがあって、僕には少しほろ苦い味わいでもあった。

「あなたの人生の物語」
ネビュラ賞受賞の表題作。著者自らが覚え書きで述べているけれど、カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」と同じ自由意志(の否認)をテーマにしている。ヴォネガットはいつにもまして痛烈に皮肉ってみせた(それは自身の戦争体験を基にしているからだろう)が、テッド・チャンはあくまで優しく仕上げている。巨匠の代表作と比較して、見劣りしない力作。

「地獄とは神の不在なり」
ヒューゴー賞、ネビュラ賞のダブルクラウン。天使降臨という”災厄”の中でそれぞれの信仰を求める人々が右往左往する話。SFというよりはちょっとした寓話という印象。なんとなく、ガルシア=マルケスの「大きな翼のある、ひどく年取った男」(「エレンディラ」収録)を思い出した。キリスト教文化圏の読者にとってはきっとただ面白い作品、という以上のインパクトがあって、それでこそのダブルクラウン受賞なのだと思うけれど、そうでない僕にとってはただの面白い作品。著者もそんなに深刻に考えて書いたわけではないようだが、ともかく面白いことは疑いようが無い。

他の4篇もそれぞれ味わい深い作品なので、興味を持った方にはぜひ一読を薦めたい。久しぶりに知的に興奮させられる良質のSFを読んだ気がする。SFシリーズ、続くかもしれません。

「あなたの人生の物語」 テッド・チャン(米) 2002
ヒューゴー賞、ネビュラ賞、星雲賞

綺麗なアイデアと綺麗な世界 ★★★★☆

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# by k_g_zamuza | 2005-09-02 23:13 | SF的生活