今日はもう一冊。本当はもっと理系ネタも書きたくて、ぼんやりと考えていることも幾つかあるのだけれどどうもイマイチまとまらず、ついつい書きやすい本の話になってしまうこの頃。いっそのこと書評専門ブログにしてSF以外の本の話も書くのもいいかなと思うのだが、それもやっぱり寂しい気がして、今ちょっと悩んでます。まあしばらくはどっちつかずな感じにお付き合いください。
ともあれ話題はジョー・ホールドマン
「終りなき戦い」です。
”人類は正体不明の異星人”トーラン”との全面戦争に突入した。コプラサー・ジャンプという新宇宙航法により戦場から戦場へと移動するたび、兵士はウラシマ効果によってほとんど歳をとらないが、客観時間では数百年が過ぎ去ってしまう。故郷の文化や社会が移りゆくのを尻目に1000年もの間ひたすら戦い続ける主人公マンデラ。この戦いに終わりはあるのだろうか?”
以前ハインライン
「宇宙の戦士」とカード
「エンダーのゲーム」との関連を指摘したけれど、ホールドマンの「終りなき戦い」はもっとあからさまに「宇宙の戦士」を意識して書かれた(と思われる)作品である。この2作品の対比については既にさんざん語られつくした感もあるけれど、やはり比べて読む価値があると思うので僕も同じ道を歩かせてもらいます。
両者の関係を一言でいえば、仕掛けが共通で方向が真逆、となる。つまり強化服を着てコミュニケーションの取れない異星人とドンパチという設定は全く同じなのだが、力の哲学を肯定した「宇宙の戦士」に対して、「終りなき戦い」は全篇を通して重苦しい厭戦ムードに満ちている。それはやはりWWⅡをバックグラウンドに持つハインラインと、ヴェトナム戦争で負傷したホールドマンとの戦争観の違いであろうし、さらに「宇宙の戦士」がヒューゴー賞(ネビュラ賞はまだ無かった)、「終りなき戦い」はヒューゴー賞、ネビュラ賞のダブル・クラウンと、どちらも米国民に熱狂的に支持されたことを思えば、その違いがそのまま当時のアメリカの気分を代弁していると考えて良いのだろう。2作品とも単なるフィクションではなく、アメリカという国のある側面を確実に捕らえているわけで、そうやって読むとこれは非常に興味深い。(もちろん単純な宇宙戦争SFとして読んだって一向に構わないし、それで十分に面白いのだけれど)
特に「終りなき戦い」は直接に戦争反対!と訴えるような文章は無いのに戦争の持つドロドロしたイメージがこれでもかという程伝わってきて、ああ、ヴェトナムってきっとこうだったんだろうな、というアピールがもの凄くある。派手さは無いけれど、傑作です。
さて、ここからはどうでも良い話。「終りなき戦い」ではセックスの問題も重要なファクターとして扱われているのだけれど、その中にこんな一文がある。
”五百年たったいまでも、ブラジャーのホックは背中についていた。”
僕は思わず笑ってしまったのだけれど、実は似たような文章が前に紹介した
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」にもあるのです。
”私は目を開けて彼女をそっと抱き寄せ、ブラジャーのホックを外すために手を背中にまわした。ホックはなかった。
「前よ」と彼女は言った。
世界はたしかに進化しているのだ。”
どうやらブラジャーのホックには、男の想像力をかきたてるトクベツな何かがあるらしい。え、僕ですか?
僕にとって用があるのは中身だけ…げふんげふん。
「終りなき戦い」 ジョー・ホールドマン(米) 1974
ヒューゴー賞、ネビュラ賞
ラヴ&ピース! ★★★★
ジョー・ホールドマン 風見 潤
早川書房
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